やっぱり京都はすごい③

豊国神社の参拝を終えて三十三間堂に歩いて向かいました。三十三間堂の西側にある入口から入りました。入口を入るとすぐ右手に公衆トイレがあります。前回、三十三間堂に伺った時にはこの公衆トイレに気づきませんでした。こちらのトイレはきれいに清掃されていてほのかに木の香りが漂いとても気持ちよく使えるトイレでした。また、私たち夫婦は喫煙者であるのでこのトイレ脇に喫煙スペースがきちんと整備されていることも三十三間堂をさらに気に入る事になりました。

用をたして一服済ませて受付で拝観料を支払い普門閣へ入り本堂へ行こうとしました。ところが庭の方へ人が移動しているのが見えました。また、その方向から鐘の音と人の声援が聞こえてきました。神輿を担いでいる様子が見えました。その神輿の近くで長い棒を抱えた人が歩いている姿も見えました。「何をしているのだろう?」結構な人が集まりその様子を見ていました。スマホで写真や動画をとっていました。

神輿の近くの棒が気になりました。棒の先には金属製の鉾のような形のものが人の動きに合わせてペラペラと前後に揺れています。棒を抱えた人はその鉾のような金属がペラペラと動くように歩いているようにも見えました。また、その棒には鐘もつけられていて揺れにあわせて鐘もなっていました。鐘は一定のリズムでなるように抱えている人が調整していました。この棒は後で調べたら「剣鉾」ということがわかりました。

神輿と剣鉾は本殿の前の台座に置かれました。本殿前には祭壇が設置されていました。

神輿と剣鉾とそれぞれの担ぎ手に向かってお坊さんがお経を上げ始めました。般若心経のようでした。お経を上げ終わるとお坊さんは一礼しました。お経を上げ終わったお坊さんに向かって神主さんらしき3名が「ありがとうございました。」と落ち着いたトーンでお礼を述べていました。何とも不思議な光景と思いました。神主がお坊さんにお礼を言っている。神社とお寺は勝手に相いれないものと思っていました。しかし、そのではないのでしょう。三十三間堂は正式には蓮華王院の本堂の事を示します。これだけの建造物を創るには、大きな権力をもったものが関わっています。そのため三十三間堂自体が権力をもったのも当たり前の事です。周辺にある神社もその庇護を受けていたことは想像できます。そのため寺院と神社の深い関係が出来上がったと思います。

後で調べたのですがこの棒は剣鉾と呼ばれる祭具で京都独特のものらしいです。起源は平安時代にさかのぼるようです。祇園祭の鉾の原型であったと言われているそうです。剣と吹散(ふきちり-剣の下に付ける旗状のもの)と鈴(りん) に霊魂を鎮める呪力があると考えられているようです。また、剣の根本の飾りにはいくつか種類があるようです。柏鉾、龍鉾、菊鉾、菊桐鉾などがあるようです。

また、剣鉾についてネットで調べると京都の八大神社のホームページに詳しい記述がありました。(剣鉾 | 八大神社 (hatidai-jinja.com)

この剣鉾を差す人を「鉾差し」といい古の京文化を今に伝える「京都市登録無形民俗文化財」に登録されるようです。

また、当日 儀式を行っていたのは三十三間堂の近くにある三嶋神社の氏子の方々だったようです。たまたま参拝に訪れた日にこのような儀式が行われていたことはラッキーでした。

神輿と剣鉾の儀式がおわり本来の目的である国宝の千手観音像を参拝に行きました。本堂内は撮影禁止。堂内は落ち着いた空間になっています。千体の千手観音立像が並ぶ姿は壮観です。多くの仏師が時間と勢力をつぎ込み完成させた像は、よく見ると一体一体個性があることが分かります。みんな違う。同じものは一つもありません。これこそ多様性を具現化したもの。

本堂をひとまわりすると出口に授与所があります。前回参拝時に三十三間堂オリジナルのお線香を購入して帰りました。自宅には仏壇はありませんが、両親の写真を飾り毎日 お茶をいれています。お香を購入してから毎日 線香をあげるようになりました。落ち着いた香りで奥さんもお気に入りです。毎日上げているので約ひと月前になくなってしまいました。今回は少し多めに購入してきました。前日 比叡山延暦寺でもお線香をひとつ購入してきました。こちらの香りも楽しみです。

今回 一泊二日での神社仏閣ツアーでしたが、幸いなことに雨には遭遇しませんでした。降水確率40%とかでしたが大丈夫でした。願いをかなえていただきました。守っていただきました。神仏に感謝です。

 

 

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