シャンソンの日 12月29日

銀座のシャンソン喫茶の老舗「銀巴里」が1990年12月29日に閉店したことに由来するそうです。

「銀巴里」には何回か行ったことがあります。最初は会社の先輩に連れて行ってもらいました。音楽好きな先輩に連れて行ってもらいました。その先輩は同じ課の2年上の先輩でした。とても面倒見の良い先輩でいろいろ連れて行ってもらいました。

とある日に会社で残業していた時に、飲みに行こうという感じで銀座方面に行きました。その時は何人かで行ったと思います。たぶん3,4人だったと思います。どなたが歌っていたかは覚えていません。しかし、日本のシャンソンの聖地のような場所だと先輩はいっていました。最初に銀巴里に行ってから数年後に閉店するとの話を聞き、会社の先輩や同僚で最後の銀巴里へ行ったことを記憶しています。銀巴里についてウイキペディアには以下の記述があります。

銀巴里(ぎんパリ)は、1951年–1990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶である。「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック(武蔵野市吉祥寺 2009年10月31日閉店)」ともよばれた。

美輪明宏、青江三奈、戸川昌子、古賀力、金子由香利、戸山英二、大木康子、長谷川きよし、宇野ゆう子、クミコらを輩出し、三島由紀夫、なかにし礼、吉行淳之介、寺山修司、中原淳一らが集い、演出に尽力した。

閉店日には、銀巴里の名が記されたコーヒーカップや食器類が、すべて常連客によって持ち帰られた。

跡地の銀座7丁目9番11号付近に石碑が立つ。

唯一のれん分けされた店が札幌市のススキノにあったが、2012年9月29日に閉店している

銀巴里を題材とした作品

音楽

  • 美輪明宏「いとしの銀巴里」作詞・作曲:美輪明宏
  • 野坂昭如「銀巴里物語」作詞:水木ひろし(桜井順のペンネーム)、作曲:桜井順
  • なかにし礼「さらば銀巴里」作詞・作曲:なかにし礼

詞集

  • なかにし礼「さらば銀巴里」さがみや書店

新入社員頃、銀座は大人の街というイメージがありました。実際にそうでした。特に夜はその色が濃いいです。銀座の老舗のバー「クール」というお店がありました。昭和の文豪が通った名店でした。ある日、先輩と有楽町へ飲みに行きました。その後、ちょっと行ってみる・・・みたいなノリで「クール」の扉を開けました。しかし、その時は満員で入ることができませんでした。別の日にまた有楽町で飲んだ後、再び「クール」の扉を開けてみました。その時は入ることができました。カウンターで水割りを注文し、タバコを吸っていた記憶があります。お客は自分たちより大人な方ばかりでした。20代の若造はいませんでした。しかし、その「クール」も今は存在しません。もう少し通うことができたらよかったな~と思いました。

ネットで銀座 クール 検索してみました。そしたら面白いページを見つけました。クール〈東京〉 | バーをこよなく愛す、バーファンのためのWEBマガジン (bar-times.com)

バーの魅力を切り絵というモノクロームで表現した切り絵作家、成田一徹氏。彼の作品は、多くのファンを魅了し、圧倒的な支持を集めました。そんな成田氏の作品が248点収録された書籍『NARITA ITTETSU to the BAR』。2014年に発行され、現在では絶版となってしまいましたが、完全改訂版としてBAR TIMESが再版することとなりました。BAR TIMES LABでは、先行予約特典として特別価格にて数量限定でご提供いたします。本ページでは、『NARITA ITTETSU to the BAR』に収録されている作品から、毎回1点をご紹介します。第一回は、クール 〈東京〉です。

「クールの古川さんに会いたくてコリドー街に足を向けた」。93年に著した『一徹の酒場だより』でのクールは、そんな一文で始まる。一徹は、銀座のバー・ホッピングの1軒目に選ぶ事が多かった。必ず、(椅子席ではなく)スタンディングのカウンターに立ち、古川緑郎マスターの柔和な顔を見ながら飲むのが好きだった。ささっと飲んで、エネルギーをもらって次のバーへ向かった。
(神戸新聞総合出版センター「NARITA ITTETSU to the BAR」より転載)


初めて「クール」の扉を開けたのは、二十年前の八月の暑い日だった。三日間の休暇をとって神戸から上京、一晩に五軒のノルマを課した、いささかハードな”東京バー巡礼の旅”だ。初日は軽く五軒をクリアした。翌日は四軒にペースダウン。最終日は疲れが蓄積して足取りも重く、三軒目を出たところで、すでに午後八時を回っていた。十時過ぎの深夜バスしかない。酔眼、汗だく。ようやく見つけたのがバー「クール」。東京最後の夜は、このバーで締めくくろうと決めていた。スタンディングスタイルのカウンターの右側に立つと、目の前に柔和な表情の名バーテンダー、古川緑郎さんがいた。時間はまたたく間に過ぎた。バスの出発時間は目前に迫っている。勘定を問うと、古川さんは優しく、しかしきっぱりとした口調で、「いいから、いいから。それより急がないと間に合いませんよ」と、一見の客をせきたてた。したたかに酩酊した身には、九時間の揺れるバスは地獄だった。しかし、午前七時に大阪に到着したとき、不思議に気分はさわやかだった。暑い日が続いている。古川さんはお元気だろうか。
(朝日新聞社「TO THE BAR 日本のBAR 74選」より抜粋)

成田 一徹 (なりた いってつ)


1949年神戸生まれ。サラリーマン生活のかたわら切り絵に目覚め、88年に上京。切り絵作家として独立した。BARの空間をモチーフにしたモノクロームの切り絵をライフワークとしつつ、新聞、雑誌、書籍を中心に、街の風景や市井に暮らす人々、職人の仕事や生き様など多彩なテーマで作品を発表した。エッセイストとしても、軽妙で味わい深い文書にファンも多く、各地で個展、グループ展を多数開催した。講談社フェーマススクールズ・インストラクターも長くつとめた。2012年10月、脳出血で急逝。

著書に『to the Bar 日本のBAR 74選』 (朝日新聞社)『カウンターの中から』(クリエテ関西)『東京シルエット』(創森社)『The Cigger Story-葉巻をめぐる偉人伝-』 (集英社)『成田一徹の切り絵入門』 (誠文堂新光社)『あの店に会いに行く』(中央公論社)『神戸の残り香』 『新・神戸の残り香』(神戸新聞総合出版センター)『NARITA ITTETSU to the BAR』(神戸新聞総合出版センター)など多数。

 

昭和の名店がどんどんなくなっていく。しかし、新しい店もできていく。

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