はじめて亀戸天神さまへ行ってきました。今日は月参りの神社へ2社参拝してきました。けさは出発が早かったので昼過ぎには錦糸町あたりまで戻ってきました。思い付きで亀戸天さまへ行くことにしました。JR亀戸駅を降りて天神様方面へ歩いていると亀戸天神梅まつりと書いたのぼりが道沿いに立っていました。駅前の通りは歩行者天国になっていて大道芸の方がパフォーマンスを演じていました。ジャグリング、パントマイム、スタチューなど 行き交う人が足を止めてみていました。さらに足を進めて約15分ほどで亀戸天神さまに到着しました。鳥居の横には梅の木が花を咲かせていました。
鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋があります。
今回は亀戸天神さまについて調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。
亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)である。天満大神、すなわち菅原道真を祀り、学問の神として親しまれている。特に1・2月の受験シーズンの土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる。通称は亀戸天神、亀戸天満宮または東宰府天満宮。
祭神
- 天満大自在天神(菅公、菅原道真)
- 天菩日命(菅原家の祖神)
歴史
正保年間(1644年 – 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。
当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営された。本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫。
古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年(明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年(昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。
主な祭事
うそ替え神事
例年1月24日 – 25日。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。
木彫りの鷽は、高さ5 – 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。
梅まつり
亀戸天神の境内には、道真が好んだ梅が300本以上植えられている。さらに境内の本殿前には、道真公が5歳で詠まれた「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という歌碑と銅像がある。
なお、梅祭りは例年2月第2日曜日から3月第2日曜日まで行われる。
藤まつり
4月25日から5月5日まで。境内の藤が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から見渡すことで、一面の藤棚を上から見下ろすことができることも特徴。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。
菊まつり
例年10月下旬から11月下旬まで。
道真は、梅と共に菊の花をみ数々の和歌を詠んだ。16歳の時に詠んだ「残菊詩」から、亀戸天神社では道真を偲んで宮中で行われていた和歌・連歌などを詠む「残菊の宴」を催していた。近年では本殿の正面を取り囲むように菊を展示して菅公を慰めるとともに、参拝客も鑑賞できるようになっている。
摂末社
御嶽神社
道真の教学上の師である延暦寺第十三代座主、法性坊尊意僧正を祀る。「卯の神」として知られ、正月初卯、二の卯、三の卯には、卯槌や卯の神札が授与される。
正月の初卯詣は江戸時代から大変賑っていたことが『東都歳事記』に記されている。卯杖と卯槌は1831年(天保2年)の卯年から売られるようになったが、当時の卯杖と卯槌の形状は『日本民俗図志』に描かれている。明治になっても初卯詣は人気があり、芸者と旦那がこぞって初卯詣をしていたことが1875年(明治8年)1月7日の『東京日日新聞』の記事となった。初卯詣には陸路のほかに亀戸天神社の西側を流れる横十間川の水路を使った。
花園社
道真の妻である島田宣来子および14人の子供を祀る。寛文年間に筑前花園より勧請を受けたものである。安産、子宝、立身出世の守護神として信仰されている。
弁天社
1665年(寛文5年)7月に太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請したもの。その後、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、この社を「弁天堂」と呼んだことから、七福神の1つである弁才天として信仰されるようになった。
紅梅殿
1662年(寛文2年)に太宰府天満宮の神木である飛梅の実生を勧請したもの。現在の社は、1988年(昭和63年)に再建されたものである。
神牛殿
神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るといわれている。牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されている。
境内
- 太鼓橋
男橋は、大鳥居を過ぎると最初にある橋。太宰府天満宮を模して造られた。池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、この橋は過去を表す。 - 女橋は、本殿の手前にある橋。この橋は希望の未来を表す。
- 本社の太鼓橋は歌川広重によって描かれ、『名所江戸百景』シリーズの「亀戸天神境内」として発行された。
- 亀井戸跡
- 池のカメ
-
池にいるカメの種類は主にクサガメ、ニホンイシガメ、ミシシッピアカミミガメの3種である。また少数だがハナガメ、ミナミイシガメ、スッポン、ウンキュウ、キバラガメなど各種のカメが観察されるが、そのうち多くがミシシッピアカミミガメで、次いでクサガメ、ニホンイシガメその他のカメはほんのわずかである。本社は学問の神である菅原道真を祀っているため、毎年、受験生が合格祈願に訪ずれる。その中には合格のお礼として本社を再び訪れ、池にカメを放流していく人が多い。本社としてはそういうきまりがある訳ではなく、亀戸という地名や池があることなどからこの行いが自然に広まった。その結果、現在のようにカメが多数棲息するようになった。ミシシッピアカミミガメが多い理由として、安価で入手しやすいため、持ってくるカメとしてこのカメが選ばれていると考えられる。ミシシッピアカミミガメは繁殖力が強く、また新たに放す人が跡を絶たないため増える傾向にある。ミシシッピアカミミガメの国内における帰化・個体数増加、またそれに伴う在来種、特にニホンイシガメの個体数減少は全国的な問題でもあり、その一端を縮図のごとく観察できる。テレビ局のスタッフが本社の神主に「カメたち、かわいいですね」と話しかけると、「うーん、私はそうは思わないんですけどねえ」という反応であった。
天神様は学問の神様。合格祈願の方が結構来ていたようでした。
コメント