五芒星巡り 神社編4

人形町の末廣神社様での参拝を終えました。五芒星巡りの3か所を終えました。時間は12時過ぎとなりました。疲れがみえたので少しカフェでブレイクタイム。奥さんもわたしも喫煙者なのでニコチンタイムです。しかし、タバコが吸える場所はどんどんなくなっています。少し前なら飲食店はほとんどのお店で喫煙が可能でした。店内に喫煙できる席を用意していました。しかし、最近は全く吸えない店が多くなりました。また、ランチタイムは全面禁煙している店がほとんどです。今はお店に入る前にタバコが吸えるかどうかを確認してから入店します。吸えると思ってはいったら電子タバコならOKというお店もあります。紙巻たばこを愛するわたしたちには困ったことです。

話しがそれてしまいましたが五芒星巡りの戻ります。次は市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮です。東京メトロの日比谷線人形町駅から秋葉原へ移動。秋葉原でJR総武各駅に乗り市ヶ谷へ移動しました。市ヶ谷駅から外堀を超えさらに外堀通りを渡り数分歩くと市ヶ谷亀岡八幡宮様の入り口に到着します。数m先に階段が見えます。階段の途中の左側にお社があるのがわかりました。しかし、こちらは茶ノ木稲荷神社様です。目的地の市谷亀岡八幡宮様は階段の上にあるようです。石段を登りきると鳥居があります。鳥居をくぐりさらに数十mのところに本殿がありました。社務所は階段を登った右手にありました。社務所で御朱印とお札を授かりました。御朱印は手書きではなくすでに書かれたものを授かりました。これもコロナの影響のようです。

市谷亀岡八幡宮様について調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。

市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)は、東京都新宿区市谷八幡町にある神社。

由緒

歌川広重・名所江戸百景に見る『市ヶ谷八幡』

当神社は太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。その後明治に入り、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり(1872年)、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。1962年に現在の社殿が再建される。現在でも地域の人々などから信仰を得ている。

市谷亀岡八幡宮の祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊(神功皇后)、与登比売神。茶ノ木稲荷神社は、稲荷大神。

境内社

  • 茶ノ木稲荷神社
  • 金刀比羅宮
  • 出世稲荷神社

文化財

軍配団扇 – 新宿区登録有形文化財(工芸品)
太田道灌が奉納したという、軍配団扇(ぐんばいうちわ)。製作時期や奉納された年月は不明である。
銅鳥居 – 新宿区指定有形文化財(建造物)
文化元年(1804年)に建造された、銅造の明神鳥居。額には播磨国姫路藩3代藩主酒井忠道の筆による「八幡宮」の3文字が記されている。総高は460cmである。
力石 – 新宿区指定有形民俗文化財
当神社に伝わる7個の力石。それぞれに重量や人名が刻まれている。
几号水準点(水鉢台座) – 新宿区登録有形文化財(歴史資料)
茶筌塚
百度石

市谷亀岡八幡宮様へは外堀通りから駿台予備校へ向かう道に入り 右側へいくと駿台予備校 逆の左側の階段の方へ行くと到着します。また、本殿の裏手は防衛省の敷地になっているようです。

参拝を終えて階段と降りていたら目の前に蝶が飛んでいました。左の植え込みに留まりました。何気なく写真を一枚スマホでとりました。しかし、動く気配がなくより近づいて写真を撮りました。それでも動きません。さらに近づいてもう一枚。

奥さんがいうには、ご参拝中に動物や蝶などを見つけたら神様に歓迎されている証拠だそうです。また、偶然にご祈祷やお神楽、結婚式を見かけることも歓迎されている証拠らしいです。わたしは気分をさらによくして市谷亀岡八幡宮様を後にしました。次は築地の波除神社様です。

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