五芒星巡り 寺院編 チャレンジしました。
奥さんの喪が明けていないため寺院で五芒星巡りをすることにしました。事前に行ってみたい寺院をピックアップしました。自宅から近くの目黄不動尊様は外せないです。それから超お気に入りの深川不動尊様。2か所は決まりましたが、あと3か所巡る必要があります。候補として上野の摩利支天徳大寺が上がりました。摩利支天は奥さんのお母さんの実家のお寺のご本尊様でした。奥さんはその偶然にご縁を感じたようです。
摩利支天様についてわからなかったので調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。
摩利支天(まりしてん, 梵: Mārīcī、マーリーチー、訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一尊。梵天の子、または日天の妃ともいわれる。摩里支菩薩、威光菩薩とも呼ばれる。
摩利支天(マーリーチー)は陽炎、太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」(Marīci)を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
日本における信仰
護身や蓄財などの神として日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就や立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助や前田利家や立花宗茂といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。
日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。
タイ捨流剣術では、現在でもなお、「タイ捨流忍心術」摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入る。[5]
真言
オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ
または、
オン・マリシエイ・ソワカ
陀羅尼
ナモアラタンナ・タラヤヤ・タニヤタ・アキャマシ・マキャマシ・アトマシ・シハラマシ・マカシハラマシ・アタンダナマシ・マリシヤマシ・ナモソトテイ・アラキシャアラキシャタマン・サラバサトバナンシャ・サルバタラ・サルババユ・ハダラベイ・ビヤクソワカ
摩利支天の法
日本には忍者が結ぶ印の基になった、戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」(まりしてんのほう)が存在し、摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気があった。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納める。
摩利支天徳大寺
当山は妙宣山徳大寺と称し,今を去る凡そ四百年前,慈光院日遺上人により創立せられ、開運大摩利支尊天を勧請し奉る。当時此の地一帯を広く、忍ぶが岡と称せしが以後全國より絶えざる善男善女の参詣により俄然活況を呈し、上野の地名を生むに至る。
そもそも摩利支天とは「陽炎」或いは「威光」と訳され、大自在神通の力ましまして、常に日天に先んじて進み、昼夜行住の別なく光を放ち、参詣祈願の面々に「気力、体力、財力」を与え「厄を除き、福を招き、運を開く」福寿吉祥開運守護を誓い給し、諸天善神中最も霊験顕著なる守護神と伝われる。
又宗門史上著名なる日親上人、全国の弘通に当り摩利支天王を守護神として奉持せり。げに数千年の久しきに亘り印度中國、我國に於いて招福得幸開運の益速やかなる霊験に依って、あまねく庶民の間に信敬せられ給いしものなり。
当山奉祀の尊天は、聖徳太子の御親作と伝えられ、頭髪上空に飛揚し、右手に利剣を掲げ、左手を開いて前方に捧げ、走猪の上に立たせ給う。是れ正しく諸難をしりぞけ、開運吉祥福寿無量を与え給う守護神であり、巨益霊験を施し給うこと枚挙にいとまなし。是れ即ち下谷摩利支天徳大寺の名四方に高き所以なり。依って有縁の清衆、現世安穏、後生善處を浄願詣られんことを祈る。
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