また干支についてさらにまたさらに調べてみます。ウイキペディアには以下の記述があります。
陰陽五行説との連関
陰陽五行説と十干
陰陽五行説では、十干に対し、天運を表す木、火、土、金、水の五行にそれぞれ陰陽一対を配して表す。訓読みでは十干の名称は、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)となり、五行のそれぞれに「(の)え」・「(の)と」がついたものである。「(の)え」は「(の)兄姉」を意味する。「(の)と」は「(の)おと」に由来し、「(の)弟妹」を意味する。「えと」の呼称もこれに由来している。
陰陽五行説と十二支
十二支にも五行が配される。四季に対応する五行は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水であり、土は各季節の最後の月にあたり、季節の変わり目を表す。土用の丑の日は夏の最終月(土用)の丑の日という意味である。各季節に十二支を配すと、
- 春…寅(木)、卯(木)、辰(木、土用期間は土旺)
- 夏…巳(火)、午(火)、未(火、土用期間は土旺)
- 秋…申(金)、酉(金)、戌(金、土用期間は土旺)
- 冬…亥(水)、子(水)、丑(水、土用期間は土旺)
となる。
陰陽五行説が起こったのは、中国の戦国時代であり、騶衍の五行思想に陰陽思想が結びついたものである。これが干支と結びついて干支五行説として天地間の森羅万象における根本原理であると考えられるようになった。
五行説と干支
五行の組合せによって吉凶を占うことができるとされる。代表的なものを下に掲げる。
- 「相生」…この関係は、天地陰陽の気が調和を保ち、万事が順調に進んで吉とされる。
- 木生火(木は火を生じる)
- 火生土(火は土を生じる)
- 土生金(土は金を生じる)
- 金生水(金は水を生じる)
- 水生木(水は木を生じる)
- 「相剋」…この関係は、天地の平衡が失われるため凶とされる。
- 木剋土(木は土を剋す)
- 土剋水(土は水を剋す)
- 水剋火(水は火を剋す)
- 火剋金(火は金を剋す)
- 金剋木(金は木を剋す)
- 「比和」…この関係は、同気が重なるため、五行それぞれの性質を強め、良い場合はますます良く、悪い場合はますます悪くなるとされる。
他に、相侮、相乗がある。
時刻と方角
干支は、時刻や方位、角度を表すのにも用いられる。
時刻
時刻については、現代の23時から翌1時までを子の刻とし、以下、丑、寅、…と続いて、11時から13時までを午の刻とした。現在、夜0時を「子夜」、昼12時を「正午」、正午より前を「午前」、正午より後を「午後」と称するのは、これに由来する。怪談などで用いられる「草木も眠る丑三ツどき」とは今日でいう午前2時半ごろのことである。
なお、日本で初めて中国伝来の暦日を遵用して、時刻に十二支を配し、子を真夜中としたのは推古天皇12年(604年、甲子の年)の正月のことであった[8]とされる。平安時代の延喜年間に編纂が始まり延長5年(927年)に完成した「延喜式」でも、宮中の諸門の開閉や日の出、日の入りの時刻について、「申四刻六分」のように十二支を用いて示している。
方位
十干は、五行説によって説明されるようになると五行が表す方位である五方と結び付けられた。さらに、後には十二支や、易における八卦を交えて細かい二十四山が用いられるようになった。
十二支では、東を卯、西を酉、南を午、北を子の方位としている。東西を結ぶ線(緯線とは厳密には異なる)を「卯酉線(ぼうゆうせん)」、南北を結ぶ線(経線に相当)を「子午線」、経度0度のロンドンのグリニッジ天文台を通る経線を「本初子午線」と呼ぶのは、これに由来する。
四隅については、北東・南東・南西・北西がそれぞれ「うしとら」、「たつみ」、「ひつじさる」、「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮(ごん)」、「巽(そん)」、「坤(こん)」、「乾(けん)」の字を充当している。指南の実物を見るかぎり、南を指すためのレンゲの形状の磁石を置いた板の模様は、六壬神課で使用する式盤の地盤の形状に酷似している。
なお、二十四山(下表参考)では、十干のうちの戊・己は用いられない。したがって、十干のうちの8、十二支の12、八卦のうちの4を合わせての24方位となる。
コメント