本龍院 待乳山聖天

今年はたくさん神社仏閣へ参拝に参りました。そのひとつに本龍院 待乳山聖天があります。

本龍院のホームページに聖天信仰について書かれていました。以下の通りです。

聖天様鎮座のいわれ

当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。
それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。

聖天様の信仰

当山の聖天さまの霊験あらたかなことは、昔より広く知られております。
十一面観音菩薩を本地仏とする聖天さま(大聖歓喜天)は、仏法を守護し、 仏道を行ずる人々を守護する天部の神様でありますが、私たち衆生の迷いを救い、 願いをかなえさせてくださる大きなお力を持っておられます。

浴油祈祷

浴油祈祷は、聖天さまを供養する最高の祈祷法で、当山では毎朝欠かさず修されております。 祈祷を申し込まれますと、行者が七日間厳修いたします。

大根と巾着

境内各所に印されてあります巾着や大根は、御信心をされて祈願することによって得られるその御利益を端的に表したものです。
大根は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。
巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示されたものです。
境内のあちこちに大根と巾着のシンボルを見ることができます。

 

本龍院(ほんりゅういん)は、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。山号は待乳山。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称される。この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られている。

歴史

この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。例年1月に行われる「大根まつり」でも知られる。

名前の由来

待乳は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海だったが、ここだけが真の土であったことを由来とする説がある。

 

 

また調べていますと日本三大聖天というのがあるそうです。聖天(しょうでん、しょうてん)とは、仏教の守護神の歓喜天(かんぎてん=歓喜自在天)のこと。四天王、帝釈天、吉祥天、弁財天、鬼子母神、大黒天などと同様に天部の神のひとつです。それを祀る日本三大聖天は、妻沼聖天(歓喜院)、待乳山聖天(本龍院)、生駒聖天(宝山寺)の3ヶ所を数えるが一般的。

東京・浅草の待乳山聖天(本龍院)は、「十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました」というのが起こりとしています。

聖天(歓喜天)は、観自在菩薩(観世音菩薩)または大日如来の権化身(本来は仏なのですが、仮に神様となって降臨)。
逆にいえば聖天(歓喜天)の本地仏は、観自在菩薩(観世音菩薩)または大日如来ということになります。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に日本古来の神道を習合して生まれた神仏習合思想。
日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん/権=仮に・現=現れる)であるとする考えです。

仏教の天部の神々のほとんどはインドのヒンドゥー教を由来しますが、聖天(歓喜天)もヒンドゥー教のガネーシャ(Gaṇeśa)がルーツ。
ガネーシャとは、サンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」で、インドでは富の神様として崇められています。
その父は、なんとヒンズー教最高神であるシヴァ神(シヴァ神は仏教に取り入れられ大黒天になっています)。

象の頭に4本の腕をもつ姿なので、仏教に取り入れられてからも象鼻天(ぞうびてん)とも称され、象頭の神像となっています。
悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、そのパワフルなご利益と、姿から庶民の信仰を集めてきました。

聖天様の御利益 いただきます。

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