真言についてウイキペディアには以下の記述がありました。
構成
真言や陀羅尼の多くは、呪句の前に「帰命句」と呪句の終末に「成就句」が加わるが、帰命句と成就句は存否一定しない。
真言の呪句は、仏尊の「種子」から成るもの、仏尊の「名」や「密号」から成るもの、仏尊の本誓を説いてその徳を讃嘆するもの、仏尊の三昧耶形を示す語より成るもの等がある。
陀羅尼の多くは、仏尊や三宝に帰依する宣言文+Tadyathā+帰命句+本文+成就句で構成される。Tadyathāは、「即ち」、「曰く」などと訳される。陀羅尼の本文は、仏尊への呼びかけや賛嘆、誓願の動詞、土着の宗教に由来する意味不明な単語等を羅列したもので、長文であることが多い。 陀羅尼のTadyathā以後を真言として唱える場合や、陀羅尼の一部を抜き出して真言のように唱える場合もある。
帰命句は、大きく分けると以下の二つに分類される。
- namas系
- oṃ
の形式があり、両者が併用される陀羅尼や真言もある。
「namas」は、サンスクリット語で「お辞儀する、敬礼する、崇拝する」を意味する動詞で、漢訳では「帰命」「敬礼」等と訳される。namasはサンディ(連声)のため、次にくる単語の最初の音によって「namaḥ(ナマハ)」や「namo(ナモー)」に変化する。 漢訳経典では、「namaḥ」は「曩莫」・「納莫」等、「namo」は「曩謨」・「南無」等、namasは「南無悉」等と音写された。日本では宗派によって読み癖が異なるが、前者は「ノウマク」・「ナウマク」等、後者は「ノウボウ」・「ナモー」等と読まれる。
帰命句には、よく使われる定型文がある。
- namaḥ samantabuddhānāṃ ~(ノウマク・サマンダ・ボダナン・~)
- namaḥ samantavajranāṃ ~(ノウマク・サマンダ・バザラダン・~)
- namo ratna-trayāya ~(ノウボウ・アラタンノウ・トラヤーヤ・~)
- namo bhagavate ~(ノウボウ・バギャバテイ~)
など。
「namaḥ samantabuddhānāṃ ~」は、しばしば「oṃ」で代用される。
聖音
真言には多用されるいくつかの聖音が存在する。(中:中国慣用音、日:日本慣用音、チ:チベット慣用音、ネ:ネパール慣用音)
- オーム
- (日:オン,チ:オン):サンスクリット語の「oṃ」で、漢訳では「唵」と書かれる。密教系では「オン」、禅宗では「エン」と読まれることが多い。真言の冒頭に用いて帰命の意をあらわす神聖な音で、末尾の「ソワカ」とともに多用される。本来はバラモン経の聖音で、ヴェーダを誦読する前後、また祈りの文句の前に唱えられるものであったが、仏教にも取り入れられ真言の頭首に置かれるようになった。
- スヴァーハー(日:ソワカ,チ:ソーハー)
- サンスクリット語の「svāhā」で、漢訳では「薩婆訶」、「娑婆訶」「莎訶」等と書かれる。日本仏教では、密教系では「ソワカ」、禅宗系では「ソモコ」と読まれることが多い。真言・陀羅尼の末尾に置いて成就を願う聖語で、和訳では「成就あれ」「畏み申しあげる」等の意味とされる。もとはバラモンが火中に供物を投ずる際に唱えた女神「スヴァーハー」の名である。成就句は必ず置かれるものではなく、同じ真言でも存否は不定である。
- フーム(日:ウン,チ:フーン)
- サンスクリット語の「hūṃ」で、漢訳では「吽」等と書かれる。『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』にも見える呪句で、「h」はシヴァ、「ū」はバイラヴァを、「ṃ」は、不幸や苦痛を駆逐することを意味する語、または「hetu(因縁)」+「ū(損減)」+「ṃ(空点)」からなり、菩提心の損減を空ずるつまり菩提心堅固をあらわし、それによって魔を畏怖させる意をあらわす語とされる。「大力」・「警覚」・「恐怖」・「忿怒」、「清浄」や「満願」など様々な意味で用いられるため解釈が困難な語である。忿怒尊の真言において「ウン・ハッタ(hūṃ phaṭ)」と組み合わせて用いられる場合は、「叱咤」・「恐怖」・「忿怒」の意味と解釈される。
- パット(日:ハッタ,チ:ペー)
- サンスクリット語の「phaṭ」で、漢訳では「發吒」等と書かれる。敵を攻撃する時の「感情」や「打撃」・「発射」等の意味を持つ『ヴェーダ』の呪句を取り入れたもので、忿怒尊の真言に多く用いられ、敵を調伏させるための感情をあらわす語とされる。「摧破」・「破壊」・「降伏」・「放出」等と解釈されるが通常は翻訳しない。
- ブルム(日:ボロン,チ:ドゥム)
- サンスクリット語の「bhrūṃ」で、漢訳では「歩嚕唵」等と書かれる。「bh(発菩提心)」+「ṛ(墔滅諸罪障)」+「ūṃ(一切如虚空)」の合成語で、菩提心を発し罪障を滅し心楽しく虚空の如く清浄なことを意味するとされる。
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