立石神社

神秘的なパワースポット 立石(たていわ)神社でした。

神社といえば立派な拝殿、本殿、しめ縄などを想像します。が立石神社は違いました。建物がありません。鳥居もありません。古代の日本においてはこのような形が神社だったのだろうと思います。巨大な岩をご神体として祀っている。巨大な御神木や山そのものが御神体とされている神社が古代の神社の形。

いままで参拝したことがないタイプの神社でした。霊感などないわたしでも鳥肌がたつ場所です。参拝した日は幸いなことに晴天でした。しかし、立石神社の場所は昼間でも薄暗がりの場所でした。

その日は午前中に出雲大社へ参拝してきました。神有月祭でとても参拝者が多かったです。老若男女、ペットの犬を連れたひとたちもかなり見かけました。出雲大社をゆっくり参拝した後、立石神社へ向かいました。立石神社へ行くにはカーナビでセットし、出雲から小一時間をかけて移動しました。近くまできたときに道路わきに「立石神社」の看板を発見。幅員の狭い道をこわごわ進んでいくとまた看板を見つけました。小さな祠が道路わきにあり、その周辺に車が2台くらい駐車できるスペースがありました。神社が見つけられるか?さらに車が止められるか?とても心配でしたが、運よく参拝できました。舗装された山道の脇をおりて歩いていきました。山の中へどんどんすすんでいき巨大な岩が見えました。ここが御神体のある場所でした。

佐香コミュニティセンターのホームページに立石神社の事がくわしく書かれています。以下のような記述や写真が掲載されています。(立石神社 – 佐香コミュニティセンター (city.izumo.shimane.jp)

 

多伎都比古神社(たきつひこじんじゃ)です。
阿遅須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)と天御梶日女命の間に産まれたのが多伎都比古命です。
明治の初め、資産のない神社は最寄りの大きい神社に合祀するように、との政府の命令により鞆前神社(坂浦町)に合祀されました。しかし、庄部地区の人の強い要望により、昭和10年代にその分霊を移しました。「たていわさん」とは通称です。
巨石の前には拝殿の跡と思われる石が点々と存在しています。
縄文時代の人々は岩石・巨石を神そのもの、または神が宿るものとして信仰し、後に「石神」とか「立石(たていわ)さん」などと呼んでいたそうです。この地もこの名残りでしょうか。

 立石さん祭壇
 古い言い伝え「雨乞いの神様」
  出雲国風土記に、
「石神は多伎都比古命の御魂なり。旱(ひでり)に當(あ)ひて雨を乞ふ時必ず零(あめふ)らせたまふ」
などとあります。
多伎都比古命が産湯を使ったという長ナメラの滝があり、そこは大旱(かん)ばつにも涸れたことがないとの言い伝えもあるそうです。
ネイチャーの写真
 以前ネイチャーツーリングで子どもたちと訪れた日も雨でした。。。
昔、金築人麿呂、金折佐一郎たちで雨乞いの祈祷をした。その時の御幣を持って雲見峠まで雨を迎えに行くと、必ず雨が降ってきた。
      (以上 「郷土史さか」より抜粋) 
 たていわさん正面
 どこにあるの?
  島根県出雲市(旧平田市)坂浦町庄部の立石地区にあります。

私がひそかに「森の聖堂」と呼んでいるこの森に通じる入口は一つしかなく、そこに至るには幾折れかの間道を通らねばならぬ。
少しばかりミステリアスな気分になる。


(文  錦織雅紘氏)
 たていわさん手前
近くにたていわさんへの道しるべはあまりありません。。。
かなりわかりにくいとは思いますコミュニティセンターの方へお問い合わせください。

佐香コミュニティセンター  0853-68-0031

岩に生える草

 森の案内人
このたていわさん、最近にわかに脚光を浴びるようになりましたが、もちろん地元の方々が今まで大切に保存されてきたから今日があります。
その中で、案内人と書きましたが、とても詳しい方が地元にいらっしゃいます。
今までもマスコミの取材などでご存じの方もいらっしゃると思いますが、金折徹也さんという方です。古い言い伝えなどはもちろんですが、多くの知識をお持ちです。
仕事柄という事もあるかもしれませんが、たていわさんのことだけではなく、この場所に生えている植物のレクチャーが大変おもしろいです
流暢な語り口で、静かな森の中でさえずるようにお話してくださいます。
忙しい合間を縫ってたていわさんの整備をしていらっしゃるので、訪れた時に金折さんがいらっしゃれば、大変ラッキーです!
その時にはたていわさんの幻想的な姿をバックに”森の案内人の語り”を堪能することができるかもしれませんよ

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