竹島問題について

竹島は日本と韓国の間で領土問題になっている島です。両国家がそれぞれ領土を主張し日本人には「竹島問題」としてとらえられています。その竹島問題についてウイキペディアには以下の記述がありました。

竹島問題(たけしまもんだい)とは、 日本領隠岐諸島と韓国領鬱陵島(울릉도)との間に位置する島嶼(日本名:竹島、韓国名:独島。順不同)をめぐる日韓両国間の国際紛争である。竹島が日本の領土であることを主張する日本国政府は同島の領有権をめぐる紛争の存在を認めているのに対して、韓国の領土であることを主張する韓国政府は同島をめぐる領有権紛争は存在していないとの立場をとっている。この点について専門家の間では、日本の領土であるとする論者だけでなく韓国の領土であるとする論者[3]も、竹島の領有権をめぐる日韓両国間の紛争が存在するとしている。

概要

第二次世界大戦後、日本の領域は1952年発効のサンフランシスコ平和条約より定められた。これに先立ち、同条約の発効によってマッカーサー・ラインが無効化されることを見越した韓国の李承晩大統領は李承晩ラインを設定し、竹島を韓国領として韓国側水域に含めた。その後、1965年に締結された日韓基本条約で李承晩ラインは廃止されるが、現在に至るまで韓国は竹島の実効支配を継続している。日本側は毎年韓国に「不法な支配である」との口上書を提出し、また国際司法裁判所での司法解決の提案をしているが、韓国側はこれを拒否している。

竹島(韓国名:独島)は、現在も日本・韓国双方が「歴史的にも国際法的にも自国の領土である」と主張し、北朝鮮も韓国の主張を支持している。日本は戦後一貫して韓国に対し抗議しているが、韓国は「日本との間に領土問題は存在しない」という立場を崩していない。

日本の行政区画では「島根県 隠岐郡 隠岐の島町」、韓国での行政区画では「慶尚北道 鬱陵郡 鬱陵邑 独島里」とされている。

双方の主張

外務省ホームページなどによれば、日韓双方の主張の相違点の概略は以下の通りである[6]

両国の主張・論点 日本側の主張 韓国側の主張
1.歴史的事実 1650年代、伯耆国大谷・村川家が松島(旧名)を江戸幕府から拝領し経営している。 15 – 16世紀の文献に「于山島」「三峰島」と記述されている。
2.1905年の竹島編入の有効性 1905年2月、閣議決定および島根県告示により領有意思を再確認した。 決定自体、それまで日本領土とみなしていなかった証拠である。
3.第二次世界大戦後の扱い 1951年のサンフランシスコ平和条約以前の措置(GHQ覚書)は日本領土の最終決定ではない。 1946年1月、連合国軍総司令部(GHQ)の覚書により、小笠原諸島などとともに日本領から分離されている。

日本の主張の概略

詳細は争点の項を参照

日本側の主張によれば、現在の竹島は江戸時代には既に日本人によって幕府公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標及び船がかり(停泊地)やアシカやアワビなどの漁猟として利用されていた。その後、明治政府は1905年1月の閣議決定で無主地であった現在の竹島を島根県隠岐島司の所管としたとしている

韓国側が領有の根拠としている古文献や古地図に登場する「于山島」については、これが現在の竹島だとする主張は事実にそぐわず、根拠がないとしている。他方、日本側が現在の竹島の存在を古くから認知していたことは数多くの文献や地図から確認できるとしている(詳しくは于山島を参照)。

また、1952年に韓国が設定した李承晩ラインは一方的なものであり、加えて、その後李承晩ラインが日韓基本条約によって廃止されたにも関わらず韓国が警備隊を常駐させ竹島を占領し続けていることに国際法上何ら根拠がないと主張している。また、日本側が平和的解決を求め国際司法裁判所に付託することを何度も韓国側へ提案するも応じていないことも問題視している。~竹島問題②へ続く

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