九頭龍神社本宮月次祭 日帰り1日間」というツアーに申し込んでいました。しかし、台風が直撃する予測のためツアーは中止となりました。九頭龍神社では毎月13日に月次祭が開催されているようです。それに一度参加してみたいとの思いで申し込みをしました。数日前まではツアーが中止になるなどと全く考えていませんでした。奥さんと当日の服装など 準備をしていました。ひょっとしたら雨が降るかもしれないのでレインウエアーも用意していました。集合場所が新宿都庁近くで時間は朝の6時30分でした。いつもならバスで錦糸町まで行ってJRで新宿に行けばよいのですが早朝でバスが動いていません。しかたなくタクシーを手配していました。それもあわててキャンセルしました。
箱根神社・九頭龍神社について調べてみました。箱根神社のホームページには以下の記述がありました。箱根神社について・・・箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、開運厄除・心願成就・交通安全・縁結びに御神徳の高い、運開きの神様として信仰されています。
箱根神社の創祀は、当社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、第5代孝昭天皇の御代、聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良時代の天平宝字元年(757)、箱根山に入峰した万巻上人が、箱根大神の御神託を授かり勅願をもって現在の地に社殿を建立しました。この箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と号し、仏教とりわけ修験道と習合し朝野の信仰をあつめました。
平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、当社は道中安全を祈る往来の人々によって遍く知られ、武家の興隆とともに名だたる武将が篤い崇敬を寄せました。平安時代の延暦20年(801)、征夷大将軍の坂上田村麻呂は蝦夷征討の際に参詣して表矢を奉献。この嘉例に 倣い源頼義もまた天喜年間に参詣し表矢を献じました。
弘仁8年(817)、嵯峨天皇は勅によって当社に駿河・伊豆・相模の荘園を寄進。続いて鳥羽上皇も相模国酒匂郷48町を寄進されました。また平安末には中古三十六歌仙の歌人・相模が参詣し、御神前で百首の和歌を献詠しています。鎌倉時代、源頼朝は当社を深く信仰し、二所詣(当社と伊豆走湯権現への将軍家参詣)を創始しました。鎌倉幕府歴代将軍による当社への参詣は幕府の恒例行事となり、当社は「関東守護」「関東鎮守」といわれ鎌倉幕府の祈願所として尊崇されました。執権北条氏の信仰も厚く、貞永元年(1232)執権北条泰時が制定した『御成敗式目』において、当社は祈誓を捧げる神々の筆頭に挙げ られ日本第一の起請の社として著しく神威を高め天下にその名声を博しました。
室町時代、関東公方足利氏が厚い崇敬を寄せたほか、戦国大名の北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直5代や徳川家康に敬仰され武門による崇敬の篤いお社として栄えました。江戸時代、徳川家康は当社を厚く崇敬し、文禄3年(1594)に神領200石を寄進。慶長17年(1612)には大規模な社殿造営も行ないました。元和4年(1618)東海道が整備され箱根宿や関所が設置されると東西交通の要(交通安全祈願所)として当社の崇敬は益々盛んになり庶民信仰の聖地へと変貌しました。
明治の初年、神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治6年(1873)に明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ、大正・昭和の現代に至るまで各皇族方の参拝が相次いで行われました。昭和55 年(1980)、昭和天皇・香淳皇后両陛下の御参拝に続いて、翌56 年(1981)、皇太子時代の今上陛下が御参拝になりました。また、民間も政財界人の参拝や年間2千万人を越える内外の観光客を迎えて、御社頭は益々殷賑を加えているのも箱根大神の御神威によるものであります。
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