般若心経3

般若心経の有名フレーズ 色即是空 空即是色 なんとなくわかるようなわからないような感じがします。

しかし、わたくしは勝手な自分の解釈をしていました。それを陰陽的な意味に置き換えて解釈をしていました。色を陽、空を陰と置き換えて考えていました。

仏教では人は五蘊のあつまったものであると述べています。五蘊とは色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称。色とは ・・・いろ、形あるもの。認識の対象となる物質的存在の総称です。この世をつくっている物質。

空とはこの世は常に移ろうもの 日々 移ろい変わる それらは空というひとつの法則でなりたっています

本当に宇宙を支配しているたった一つの法則に行きつくのか?空はすべての現象を統括するひとつの法則

空は言葉で表現できないし、人にも伝えることができない  法則 あるのだろうと感じる法則

移りゆく世界は空の中からあらわれてくる現象

空即是色 すべては移ろいゆくから美しい 変化する様が美しい

連続したものを切り取って表現したい それが芸術になる

世界を司っている法則を切り取って世に出したい それが物理学や科学になる

何かわからない大きな存在である空の一部をきりとって、自分の手の中に収めたいという思いがひとを前進させる

人間が創り上げてきた文化の根底には色即是空 空即是色の構図があるのではないか

さらに仏教でいう「空」についてウイキペディアには以下の記述があります。

仏教における(くう、梵: śūnya [シューニャ]または梵: śūnyatā [シューニャター]、巴: suññatā [スンニャター])とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である

原語・原義

原語はサンスクリットの形容詞 シューニャ(śūnya)、名詞形はシューニャター(Śūnyatā) で、後者は「空なること」を意味するため、しばしば空性と漢訳される。śūnya は舜若(しゅんにゃ)と音写し、 śūnyatā は舜若多(しゅんにゃた)と音写する

インドにおけるシューニャの概念

シューニャ(サンスクリット語: शून्यśūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という意味である。また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、初期の仏典にもその意味で登場することがある。シューニャはインドの数学における 0 (ゼロ)の名称でもある。

大谷大学のホームページは「空」について以下の記述があります。

「空」は、仏教思想において最も重要な教えの一つである。空は無と有、否定と肯定の両方の意味をもつが、世間では「から、あき、むなしい」等の意味で把握され、「無」の面だけが強調される傾向にある。
「空」は梵語「シューニャ」の訳語で、よく「無」とも漢訳される。しかし、その語根「シュヴィ」は「膨れる、成長する」の意味をもつ。たとえばサッカーボールは、外面的に膨らんでいても、内面的には空(から)の状態である。数字のゼロも、その原語は「シューニャ」である。ゼロは、+(プラス)、-(マイナス)両方になる可能性をもつ。我々人間という個的存在も、肉体、精神の諸要素から成る点では「膨らんだもの」であるが、一方、芯となる自己の本質、我(が)を見出せない点からすれば「うつろな、非実体的存在」である。禅者は、その「空」を象徴的に円で表現するが、単に、非存在、空白だけを意味すると誤解してはならぬ。
インドに二~三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者は不二である。
ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。・・・一郷 正道(いちごう まさみち)(教授 仏教学)

次回ではさらに般若心経にたくさん出てくる「無」について調べてみます。

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