若一神社へご参拝

下賀茂神社の参拝を終えて若一神社へ行きました。下賀茂神社からは車で30分弱で到着しました。西大通沿いに若一神社はありました。こちらへの参拝目的は座敷童と縁を持ちたかったからです。こちらの神社は平清盛が創建された神社です。

御朱印を頂くため神主様にお願いしました。神主様は御朱印を書きながら神社の縁起等を教えてくれました。この場所はもともと平清盛公のお屋敷があった場所であり、京から西国や東国へ向かうときに要所となった場所だったそうです。平清盛公は生涯で23度熊野詣でされたそうです。ある日、夢を見ました。熊野の若一王子を勧請するようにとのお告げです。それがこの若一神社の縁起となるようです。

ホームページには以下の通り記述されています。

光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。見どころとして・・・銘水 若一神社神供水:平清盛公熊野詣での折、御神託により仁安元年(1166年)11月10日、西八条殿内に隠れたる御神体を世に出し、社殿を建立し奉斎して以来、日供祭(にっくさい=毎朝行われる崇敬者の安寧を祈るお祭り)にて御神前に供えられてきた御神水。古くから銘水として知られる地下水で、開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名。運が開けたなど御神水による様々な奇跡が広まり、水を汲む人々の跡が絶たない。水は持ち帰り自由。楠社(くすやしろ):樹齢800年を超す大樹。西八条殿に平清盛公が太政大臣に任ぜられたのに感謝してお手植えされたもので、若一神社の御神木。商店や会社が建ち並ぶ西大路通り沿い八条付近に、一角だけこんもりとした木が生い茂る。若一神社の目印であり、象徴となっている。大樹の下には楠社が建てられ大楠を祀っている。歌碑:「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。)
人の世の無情を歌った平家物語史跡
祇王歌碑は若一神社境内

また、ウイキペディアには以下の通りの記述があります。

若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、京都府京都市下京区七条御所ノ内本町にある神社。平清盛の別邸・西八条殿の跡地にある。

歴史

光仁天皇の時代に唐から来た威光上人が摂津国天王寺に住していた。威光は紀伊国の熊野に詣でて人々を救おうとし、熊野十二所権現の一つである若一王子の御分霊である御神体を笈に背負って旅立つと、やがて当地に到来した。宝亀3年(772年)のことであった。威光は当地の森にあった古堂に、神意に従って御神体を安置した、これがそもそもの当社の始まりであるという。

しかし、その後異変により、御神体は土の中に入ったという。

平安時代末期、平清盛が六波羅邸に在住していた頃に、清盛は風光明媚な当地に別邸・西八条殿を造営した。そして、仁安元年(1166年)8月に清盛が熊野に詣でた際に熊野権現から「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」とのお告げがあった。清盛は帰京すると西八条殿の邸内を探索し、東方の築山より光が放たれているのを見つけた。清盛は歓喜して自ら三尺ほど土を掘ってみると土中より若一王子の御神体が現われたので同年11月10日に社を建立して鎮守社として祀った。

すると、翌仁安2年(1167年)2月10日に太政大臣に任ぜられた。これにより、当社は開運出世の神様と尊崇されるようになったという。

境内には平清盛御手植の楠があるが、1939年(昭和14年)に京都市が京都市電を延伸させて当社の境内の西に通そうとした際、この楠を切れば清盛の祟りがあるとされたため、楠と当社を避けるようにして市電が通された。市電が廃止された現在でも西大路通はそこの部分だけ蛇行している。

祭神

  • 主祭神 – 若一王子(にゃくいちおうじ)

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 社務所
  • 平清盛ゆかりの御神水
  • 平清盛像
  • 平清盛御手植の楠 – 樹齢800年。平清盛が太政大臣に任ぜられたのを感謝して手植えしたもの。歩道を挟んで当社の向いにある。この楠を避けるようにして西大路通が通っている。

境内社

  • 寿命社 – 祭神:高砂尉と姥。天正年間(1573年 – 1592年)に播磨国の高砂神社より勧請。
  • 弁財天社 – 祭神:市杵島姫命。正徳5年(1715年)に竹生島の都久夫須麻神社より勧請。
  • 松尾社 – 祭神:松尾大神
  • 稲荷社 – 祭神:稲荷大神。伏見稲荷大社より勧請。
  • 祖霊社 – 祭神:当神社奉仕の神職及び総代、世話方並に特別崇敬篤き方々の御霊。1983年(昭和58年)9月11日建立。
  • 楠木社 – 祭神:平清盛御手植の楠

楠木社 平清盛公が手植えされた楠がいまも健在です。こちらに座敷童がいると言われています。平清盛公はこの座敷童のお陰で運気が上がり異例のスピード出世をはたし、武家の出身で初めて太政大臣となったと言われています。

 

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