1月11日は鏡開き

昔、日本酒メーカーに勤めていました。年末年始に鏡開きをするための樽の注文を聞くことがありました。鏡開きについて調べてみました。ウイキペディアには以下の記述があります。

鏡開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝の気持ちを示し、無病息災などを祈って、供えられた餅を食べる。汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食されることも多い。

概要

江戸時代、新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家において新年の11日(もと20日)に行われる行事で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し「刃柄(はつか)」を祝うとした行事。また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開くことを「初顔」を祝うといった。この武家社会の風習が一般化したものである。江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べた

刃物で餅を切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使用する(「開き」は「割り」の忌み言葉)。鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。

鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。武家の具足式を受け継ぎ、柔道場・剣道場などでは現在も鏡開き式を新年に行うところもある。

日付

関東を中心にした地域では、年神(歳神)へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、後に松の内後の1月11日 (旧暦)とされた。

グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では、16日以降に鏡開きが行われ、通常1月20日(二十日正月)に行われる。

京都府や近隣の一部では、1月4日に行う[9]が、その理由は明確とはなっていないと言われている。

西日本では、陰暦の2月15日に行われる涅槃会に合わせて、鏡餅を割って花供曽と呼ばれるあられを作って食べ、一年間の無病息災を願う風習もある。鼻くそと同音であることから「お釈迦さまの鼻くそ」とも呼ばれる。

文学

俳句
俳句の季語となっている。
和歌
女性が鏡台に供えた鏡餅を開くことを「初顔」を祝うといい、二十日(はつか)にかける縁語とした。
「よわい延ぶる歯がため」

鏡抜き

祝宴などで菰(こも)を巻き付けた酒樽(菰樽という)の蓋を木槌で割って開封することも鏡開きという。 これは、酒屋では酒樽の上蓋のことを鏡と呼んでいたことに由来する 。 また、この場合は鏡抜きと呼ぶこともあり、「鏡開き」と呼ぶのは誤りだという説もある

昔、日本酒メーカーに勤めていました。年始に樽の注文を聞くことが多くありました。年始行事に鏡開きをする企業や団体からの注文でした。時には警察関係のところからの注文もありました。その時武道始めという言葉を初めて知りました。警察署の道場で年始に稽古を始めるのが武道始めです。その時にあわせて鏡開きをするのです。しかし、年々樽の注文は減ってきました。武道始めという行事も昔の元服の儀式に由来するのだと思います。武道の殿堂である日本武道館では、成人の日に鏡開き式・武道始めが毎年開催される。開会式や国歌斉唱、挨拶・祝辞に続き、鎌倉時代の軍装での鎧着初め・三献の儀が行われる。
鎧着初式は鎧新調時と元服(成人式)で初めて鎧を着た時の儀式。本来は裸から完全武装する儀式だが、時間がかかるので武道館では鎧を既に着用の状態から始める。三献(さんこん)の儀は出陣・凱旋・元服式・結婚式の時に酒を飲む儀式。中世(鎌倉~戦国時代)には武家の学問始め、元服、鎧新調、合戦の出陣式などで行われた。武道館で行われるのは大将軍の出陣式である。
陪膳所役が肴(打鮑、勝栗、昆布(撃つ、勝つ、喜ぶ)が各一皿と盃三重)を高坏で大将軍の前に置き、大将軍が肴の一皿を食する毎に長柄所役が酌をし大将軍が飲み干す。武道館では武将らが祭壇に拝礼したのち、鏡餅と酒樽を割る。
近世には武士は正月の鏡餅に鎧を供え、鎧餅または具足餅と称した。武家の餅は現在の二重ねの饅頭型ではなく的の形であった。鏡開き式は正月の松飾りがとれる吉日に餅を撤去し砕いて雑煮などにする歯固めの行事で、餅を刃物で切ることを忌み、弓の弦で引き絞って切ったが、お汁粉にはせず(小豆は煮ると皮が破れるので腹を切るに通じる)、蕪(鏑矢に通じる)を入れた汁にした。鏡開きは新年の祝いじまいである1月20日に定着していたが、三代将軍家光の命日に当たったため承応元年に11日に改められた。また室町時代の鎌倉公方は正月15日に鏡開きを行った。

いまもなおこのような儀式が行われていることは日本人として知っておくべきことなのだと思います。

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