11月10日

11月10日について調べてみました。ウイキペディアで調べていたら興味深い記述を見つけました。

  • 1915年 – 大正天皇の即位礼を京都御所の紫宸殿で挙行。
  • 1928年 – 昭和天皇の即位礼を京都御所の紫宸殿で挙行。

大正天皇と昭和天皇が同じ日11月10日に即位の礼を挙行されました。11月10日には意味があります。大政奉還は1867年11月9日に二条城で江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上し、10日に天皇が奏上を勅許しました。明治天皇が正式に日本の統治者となった日が11月10日ということです。11月10日には宮中の重要な儀式が行われることが多いようです。1940年には紀元二千六百年記念行事(きげんにせんろっぴゃくねんきねんぎょうじ)神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った行事が行われた。

概要

1940年(昭和15年)が神武天皇即位紀元2600年に当たることから、日本政府は1935年(昭和10年)10月1日に「紀元二千六百年祝典準備委員会」(会長:内閣総理大臣岡田啓介)を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念行事を計画・推進した。この準備委員会は、のちに「紀元二千六百年祝典評議委員会」(会長:阪谷芳郎)が設置されると廃止された。また、内閣に設けられた「内閣紀元二千六百年祝典事務局」の局長には歌田千勝が就いた。1937年(昭和12年)7月7日には官民一体の「恩賜財団紀元二千六百年奉祝会」(総裁:秩父宮雍仁親王、総裁代理:高松宮宣仁親王、副総裁:内閣総理大臣・近衛文麿、会長:徳川宗家第16代当主・徳川家達)を創設。神祇院が設置され、橿原神宮の整備には全国の修学旅行生を含め121万人が勤労奉仕し、外地の神社である北京神社、南洋神社(パラオ)、建国神廟(満州国)などの海外神社もこの年に建立され、神道の海外進出が促進された。また、研究・教育機関では、神宮皇學館が旧制専門学校から旧制大学に昇格した。

1940年(昭和15年)には、年初の橿原神宮の初詣ラジオ中継に始まり、紀元節(2月11日、現在の建国記念の日)には全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が外地を含む全国各地で催された。

1940年(昭和15年)11月10日、宮城前広場において昭和天皇・香淳皇后出御の下、内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催された。11月14日まで関連行事が繰り広げられて国民の祝賀ムードは最高潮に達した。また、式典に合わせて「皇紀2600年奉祝曲」が作曲された。

長引く戦争による物資不足を反映して、参加者への接待も簡素化され、また行事終了後に一斉に貼られた大政翼賛会のポスター「祝ひ 終つた さあ働かう!」(祝い 終わった さあ働こう!)の標語の如く、これを境に再び引き締めに転じ、その後戦時下の国民生活はますます厳しさを増していくことになる。

紀元二千六百年式典

内閣主催の「紀元二千六百年式典」が1940年(昭和15年)11月10日に、昭和天皇・香淳皇后出御の下、宮城外苑で挙行された。式典のために寝殿造の会場(光華殿)が設営された。式次第は下記の通り。

  • 開会の辞(近衛文麿内閣総理大臣)(その後に最敬礼)
  • 国歌奉唱
  • 近衛首相による寿詞(お祝いの言葉)奏上
  • 勅語下賜
  • 軍楽隊・東京音楽学校による紀元二千六百年頌歌斉唱
  • 万歳三唱
  • 閉会の辞(近衛首相)
紀元二千六百年式典ノ勅語(昭和15年11月10日)

※漢字は常用漢字に改めた。

茲ニ紀元二千六百年ニ膺リ百僚衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉レヲ嘉尚ス
今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替ノ由リテ以テ判カルル所ナリ

爾臣民其レ克ク嚮ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ

この模様は日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)によりラジオで実況中継された[注 2]が、天皇が勅語を読み上げる箇所は放送が中断された。これは、ラジオの聴取者がどのような姿勢・体勢で放送を聴いているかが分からないため、不敬とされる状況が生じるのを避ける不敬罪で取り締まる事も出来ない)ための措置であった。天皇の玉音(肉声)が正式なプログラムとして初めてラジオで流れて、国民が天皇の肉声を聞くのは1945年(昭和20年)8月15日のポツダム宣言受諾を伝える玉音放送である。

紀元二千六百年記念奉祝会
1940年(昭和15年)11月11日

なお、翌日11日には同会場で式典同様、昭和天皇・香淳皇后出御の下に奉祝会が行なわれ、高松宮宣仁親王(奉祝会総裁代理)とジョセフ・グルー(第13代駐日アメリカ合衆国大使)による奉祝詞奏上、奈良朝風の奉祝舞楽「悠久」の演舞、高松宮による聖寿万歳三唱などが行なわれた。参列者にはお祝いの食事(食饌)が用意されたが、日本酒のほかはパン・果物など簡素なものにとどめられた。

また、紀元二千六百年祝典記念章が制定され(昭和15年7月27日勅令第488号「紀元二千六百年祝典記念章令」第1条)、紀元節又は紀元二千六百年式典に招かれた者(同第3条1号2号)及び式典の事務並びに要務に関与した者(同3号)に授与された(同第3条)。

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