11月4日

11月4日はユネスコ憲章記念日です。

ユネスコは、なんとなくしっているように思いますが、改めて調べてみました。ウイキペディアには以下の記述があります。

国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、英: United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization、仏: Organisation des Nations unies pour l’éducation, la science et la culture、略称: UNESCOユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進、世界遺産の登録などを目的とした国際協定である。

1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 “United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization” (ECO/CONF)において11月16日に採択された[1] 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。

分担金(2021年現在)の最大の拠出国は中国 (15.493 %)、2位は日本 (11.052 %) である。

概要

英語の正式名称は United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization。その頭字語である UNESCO (英語発音: [ju(ː)néskoʊ] ユスコウ)も公式に用いられ、日本語では「ユネスコ」と称する。フランス語の場合はOrganisation des Nations unies pour l’éducation, la science et la cultureだが、略称としては一般に英語に準じて UNESCO (Unesco, U.N.E.S.C.O.) を用いる。本部はフランスのパリにある。

「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言がある。

活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全するユネスコ記憶遺産(世界の記憶)事業などを実施する。そのほか、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、初等・中等教育における男女差別の解消、持続可能な開発のための教育、危機に瀕する言語の保護などを内容とするミレニアム開発目標など、国際開発目標達成を目指す。

ユネスコの最高機関は全加盟国が参加する総会である。総会において各国はそれぞれ1票を持ち、ユネスコの政策や事業計画についての決定を行う。総会での議決はユネスコ憲章の改正などの重要事項については加盟国の3分の2の賛成が必要となるが、通常の事項については過半数の賛成で決定される。総会は2年に一度、通常はパリにおいて開催される。この総会の決定に基づく計画の監督や、事務局が作成した予算計画などを総会にかける前に審議するのが執行委員会である。執行委員会は1年に2回開催される。この両機関の下に、事務局他実行機関が存在する。事務局長はユネスコの代表となっている。パリの本部のほか、世界各地に通常複数国を管轄する地域事務所が置かれている。また、各国にはそれぞれユネスコ国内委員会が設置され、ユネスコ本部と各国政府との間の連絡機関となっている。日本にも、日本ユネスコ国内委員会が設置されている。

ユネスコ活動の普及と理解促進のため、世界の著名人を「ユネスコ親善大使」に任命し、様々な活動を行っている。

歴史

1946年11月4日に設立されたのち、ユネスコは徐々に加盟国を増加させ、活動も多岐にわたるようになった。1951年にはいまだ国際連合本体に加盟していなかった日本が加盟するなど敵国条項が適用される旧枢軸国の加盟も比較的早期になされたが、何よりも大きな影響を与えたものは1954年のソビエト連邦の加盟である。これによりユネスコは共産諸国(冷戦下の東側諸国)にも活動の場を広げ、さらに1950年代から1960年代にかけてアジアやアフリカの新独立国が次々と加盟を果たし、加盟国の大半が南側諸国によって占められるようになった。これはユネスコの活動を大規模化させることとなったが、本来設立の中心となった欧米先進諸国が数の上では少数派となったことにより両派の間で対立が起こるようになった

1980年代から、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることに先進諸国の間で不満が高まってきた。中でも問題となったものが、当時のムボウ事務局長が提唱した「新世界情報秩序」である。これは、世界の情報の流れが先進国から一方的に発信されている状況を是正しようとするものであり、発展途上国の間で強い支持を得たものの、この議論の中で東側諸国がジャーナリストの認可制の導入を提唱したこともあり、この計画は報道の自由を制限するものだとして、先進国からは強い反対の声が上がった。これを一番の原因として1984年に最大の分担金拠出国であったアメリカ合衆国が、次いで1985年にはイギリスおよびシンガポールが脱退し、ユネスコの存続は危機に立たされた。この間日本は、ユネスコにとどまり、分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国となった。結局、イギリスは1997年7月に、アメリカ合衆国が2003年10月、シンガポールが2007年10月にそれぞれユネスコに復帰した

2013年11月現在の加盟国数は195ヶ国、準加盟9地域である。日本は1951年7月2日に加盟

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