2月3日は節分

節分といえば豆まき、最近は恵方巻がポピュラーになってきました。じぶんが子供のころにはなかった習慣です。大阪の方ではやっていたようですが自分の生まれ育った神戸ではそのような習慣はありませんでした。初めて知ったのは確か大学生のころだったと思います。調べてみたら1983年ファミリーマートの大阪・兵庫の一部で発売されたようです。それがいまや2月の風物詩としてスーパーやコンビニでは定番化しています。全国に店舗展開するコンビニのパワーを感じます。以前つとめていた食品メーカーでもコンビニの全国定番に入ったら社長表彰ものでした。当然、そのハードルは高いのですが全国定番に入れば売上は一気に爆増。1年間は何もしなくても勝手に売り上げが上がって行きます。しかし、1年後はその実績があるため苦戦するのは当たりまえ。コンビニに採用されたからといっても安心してはダメ。注文殺到で品切れなんてことになってはペナルティーものです。大手ビルメーカーの新商品では結構 品切れが起こっています。メーカーはたくさん売りたいのが当たり前。販路はコンビニだけではありません。全国系スーパー、地域密着型のスーパー、ディスカウントストア、一般小売店などあらゆる販路の新商品のプロモーションを展開します。事前に受注予測、製造計画など発売日に向けてあらゆる対策を立てますが実際にふたを開けないとわかりません。いきなり受注数が在庫数を大幅に上回るような事態も発生します。発売からいきなり品切れ。ひどい場合は数か月も十分な供給ができないこともあります。しかし、最近の消費者動向は無ければ違うものでいい・・・という感じではないでしょうか。

また昔話となりますがアサヒビールのスーパードライはとんでもない新商品でした。アサヒビールはもともとサッポロビールと一緒の会社でした。第二次世界大戦後、大企業の解体のため大阪はアサヒビール、東京はサッポロビールに分かれたようです。住友系の会社はアサヒビール、芙蓉グループはサッポロビール、三菱系の会社はキリンビールと飲むビールが決まっていました。嘘のようなホントの話。自分の兄は住友系の会社でしたのでアサヒビールしか飲みません。しかし最近は緩くなて来たようです。話はそれましたが、東京ではアサヒビールは売れないというのが業界の常識でした。その当時はキリンビールが絶対的なシェアを持っていました。関東ではキリンビールさえあれば商売はできる。一部 銀座界隈ではサッポロビールのシェアは高かったようです。サッポロライオン等の直営店が有ったり、その他にも様々な絡みがあり銀座はサッポロビールでした。そんな中でアサヒビールの新商品スーパードライは当時の業界の常識を一気に打ち破りました。どこでも品切れ。当時はコンビニがまださほど件数がなく、スーパーでビールを販売する店舗も多くはありませんでした。ビールは酒屋さんで販売される又は飲み屋さんで飲まれるといった感じでした。小売店の品切れ、卸店も品切れ、メーカーはフル稼働で生産しても受注に追いつかない。メーカーは卸店に在庫が偏在しないように調整して出荷する。卸店も同様に調整して出荷する。ひどい卸店は売りたい商品とスーパードライを抱き合わせて販売するようなこともしていました。ひどい話です。スーパードライの品薄状態は数年続きました。スーパードライの勢いでアサヒビールはシェアを拡大。昔はキリン、サッポロ、アサヒ、サントリー それからキリンとアサヒは拮抗し次いでサッポロ、サントリーのビールシェアとなりました。また、ビール単体ではアサヒがシェアNo1になりました。1つのヒット商品が業界を大きく揺さぶることとなりました。節分から全然違う話になってしまいました。

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