竹島問題④

引き続き「竹島問題」についてのウイキペディアの記述を紹介します。

日韓基本条約と日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文

1965年の日韓基本条約調印によって李承晩ラインが正式に廃止されたが、竹島の領有権に関しては日韓双方譲らないため、紛争処理事項として棚上げされた。

また、日韓基本条約締結に伴い「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文」が取り交わされた。そこには外務部長官李東元署名による韓国側書簡として

「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によつて解決を図るものとする」

とある。この公文には竹島、または独島という名称は記載されず、一般的な「紛争」についてだけ記載された。竹島問題は李承晩の海洋宣言以来の紛争事項であるが、韓国側は竹島・独島は紛争事項ではないという立場をとっている。

なお、日本側は日韓国交正常化に至る1951年から1965年までの外交交渉文書の開示を拒み続けている。この文書には竹島問題について日韓双方の発言や、昭和天皇と韓国高官とのやりとりなどが含まれているという

日韓漁業協定以降

1965年の旧日韓漁業協定では竹島問題については棚上げされた。1980年前後には韓国漁船が山陰沿岸および北海道近海にまで出漁(密漁)し、日本の漁業者と係争が起こった。島根県のシイラ漁漁船は35統から8統にまで激減する

1996年に日韓両国は国連海洋法条約を批准。それに基づき新日韓漁業協定の締結交渉が開始され、両国の中間線を基準に暫定水域を設定、この海域において双方の漁獲が制限付きで認められた。日本側の配慮により日本が大幅に譲歩した暫定水域は、日韓共同で利用する協定であった。しかし、その後も韓国漁船が漁場を独占し、日本漁船が操業できない状態が続いている。さらに韓国漁船は日本側の排他的経済水域(EEZ)にまで侵入するなど不法な漁業行為を行い、また竹島の周辺海域では韓国軍が頻繁に監視を続けている。また、竹島近海の海底地名の命名、および海底地下資源に関する調査活動を巡り、EEZ問題が再燃、EEZ確定交渉が再開されたものの、平行線を辿っている。

争点

竹島を巡る争点には次のようなものがある。

  • 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
  • 島の同定(于山島、鬱陵島、竹嶼、竹島、松島、石島、観音島ほか)
  • 1905年の日本による竹島編入の有効性
  • 戦後の GHQ による竹島処分の解釈
  • 1952年の韓国による軍事占拠(李承晩ライン問題も含む)

竹島の領土権原

国際判例に照らすと、以下の通り

日本の領土権原(日本側の主張による)
  • 歴史的な権原において江戸幕府は現在の竹島を領土と見なしており、日本に領域権原が存する。
  • ただし、歴史的な権原は近代的な権原に置き換えられる方が好ましい。
韓国の領土権原(日本側の主張による)
  • 17世紀末に民間の朝鮮人(安龍福)が、日本における「竹島(鬱陵島)・松島(現在の竹島)」の呼称を朝鮮の「鬱陵島・于山島」に当てはめ、松島は于山島であるという認識を持ったとしても(以来、朝鮮文献に松島=于山と記述)、朝鮮人の言う于山島と日本人の言う松島は朝鮮の地図を見る限り明らかに一致していない。
  • 18世紀以降朝鮮の官撰史書等に松島=于山と記載されているが、朝鮮は現在の竹島への実地の知見や訪問記録がない(于山島が別の島竹嶼を示す史料が多くある)。
  • 1900年に大韓帝国が勅令で「石島 (韓国)」を鬱陵島の行政管轄権に入れており、韓国は石島を独島(現在の竹島)と主張するが、その根拠がない。
  • したがって韓国には歴史的な権原というべきものがない。
(いずれも一国の領土権の確立に不充分で、無主地の要件は満たされる。なお、日本が日露戦争中に独島を侵奪したという韓国側の反論があるが、奪ったという議論は、竹島が韓国の領土であったことが証明されない限り成り立たない。)

最初の発見者

発見は未完の権原とされ、相当の期間内に植民地を設置するなどといった活動によって確定的な権原としたり、占領の意思が継続していることを示すのでなければ領有とは言えない

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