極地研の南極観測のホームページに昭和基地の事が書かれています。以下ホームページの記述です。
1957年1月、第1次南極地域観測隊により、リュツォ・ホルム湾にある東オングル島に開設。現在は、世界の気象観測網の拠点にもなっており、約30名の隊員が1年間観測活動を行う日本の主要基地として、半世紀を超えて維持、管理、運用を続けています。
位置
南緯69度00分19秒、東経39度34分52秒。標高は29m。東南極のリュツォ・ホルム湾東岸の大陸から4kmほど離れた東オングル島上にある。
気象
昭和基地は大陸から4km離れているため、斜面下降風(カタバ風)の影響が比較的少なく、気候的には比較的暖かく風もそれほど強くはない沿岸弱風帯に属している。気温は南半球の冬である8月末頃に最も低くなり、10月から11月にかけて日射時間の増加に伴い急速に昇温して、南半球の夏である1月頃に最も高くなる。月平均湿度は1年間を通して70%前後だが、気温が低く空気中に含まれる水分全体が少ない。月平均風速は4月が最も強いが、低気圧の接近による最大瞬間風速50m/s前後の強風は1年間を通して観測観測される。風向は1年間を通して北東の風が卓越しており、特に強風は北東の風に限られる。昭和基地周辺での強風は低気圧が運び暖かく湿った空気により降雪と高い地吹雪を伴うことが多く、著しく視程が悪化する(ブリザード)。短時間のうちに穏やかな状況からブリザードへと変化する場合もある。
施設・設備
昭和基地には64棟の建物の他、観測設備として大型アンテナなど各種アンテナ、設営設備として燃料タンク、通信用アンテナなどがある。各観測棟内にはそれぞれの観測設備、建物内には発電機設備を始めとする設営設備が設置されている。
またウイキペディアに以下の記述がありました。
昭和基地(しょうわきち)は、南極圏内の東オングル島にある日本の観測基地。南緯69度00分25.05秒 東経39度35分01.48秒、標高28.8メートル(楕円体高 50.0m)。基地の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなむ。リュツォ・ホルム湾の東岸に位置する。
概要
施設
昭和基地は天体・気象・地球科学・生物学の観測を行う施設である。施設は大小60以上の棟からなり、3階建ての管理棟のほか、基本観測棟、自然エネルギー棟、居住棟、発電棟、汚水処理棟、観測棟、情報処理棟、衛星受信棟、焼却炉棟、電離層棟、地学棟がある。このほかの施設として、大型大気レーダー、HF/MF観測アンテナ、機械建築倉庫、車庫、短波無線通信アンテナ、大型多目的アンテナ、インテルサット通信アンテナ、燃料タンク、ヘリポート、貯水用の荒金ダム、太陽光発電施設、風力発電施設、非常倉庫、廃棄物倉庫、夏期宿舎などがある。宗谷海岸沿岸の露岩域には短期滞在用の観測小屋が複数あり、昭和基地から1,000キロ離れた南極大陸内にドームふじ基地がある。
余暇(通常業務が休みになる南極時間の土日や平日の業務終了後、および臨時で日本時間のこどもの日)を利用して隊員によるアマチュア局(8J1RL)の運用が行われている。多くの建物は木造プレハブ構造で、ミサワホーム製が使用されている。医務室、厨房、食堂、通信室、公衆電話室、ネットスタジオ、庶務室、娯楽室などは管理棟内にある。2基のディーゼル発電機が置かれ、交互に運転されている。ほぼ3週間毎の発電機の切り替え作業は、基地内の電力消費量を抑えた状態で実施される一大イベントとなっている。
郵政民営化までは郵便局もあり、現在は日本郵便銀座郵便局昭和基地内分室が置かれ、日本国内と同料金で手紙やハガキを日本本土とやり取りができるが、日本および南極への配送は越冬隊が帰還する際の年1回のみである。かつては昭和基地内郵便局の郵便番号として100-70(国立極地研究所扱い。枝番70はいったん閉鎖された基地の業務が再開された1970年にちなむ)が当てられていたが、現在は特に定められていない。
主要な建物はシェルタータイプの連絡通路で接続され、荒天時でも移動できるよう配慮されているが、夏季滞在隊員用の宿舎などには連絡通路がないために、ブリザード発生時は建物から出入りできなくなる。そのため連絡通路で接続されていない建物には、簡易トイレや非常用食料の備蓄など、数日間そこで過ごせるような対策が講じられている。また、連絡通路で接続されていないが、インテルサット衛星設備など停止が許されない設備に故障などの障害が発生した際は、ブリザード発生中でも隊員が設備に赴き処置を施す必要がある。これらの設備には基地建物から誘導ロープが張られており、安全帯を締め命綱を誘導ロープにつないで移動する。
観測資材や食糧・燃料などの物資は、南極観測船によって運ばれる。海面の結氷状況により、基地付近に観測船の接岸が可能なときは、雪上車での横持ち輸送や、給油パイプ接続による燃料流送で基地への物資搬入が可能であるが、接岸困難なときは、沖合いに停泊した観測船からヘリコプターを使用した空輸に頼ることとなる。2009年(平成21年)の第51次南極観測隊および越冬隊から運用開始した観測船「しらせ(2代)」では、荷役作業の効率化のため物資の搭載がコンテナ化されており、これに対応して2007 – 2008年に、基地内にコンテナヤードが整備された。
基地内で通貨は不要であり、食事や飲み物はアルコール類を含めてすべて無料である。変化に乏しくマンネリ化しやすい基地生活のため、お花見会(基地内に手作りの桜の造花を飾る)やフルコースディナー会など、趣向を凝らしたイベントも開催される。生鮮食料品や冷凍食料品は、調理担当の隊員が賞味・消費期限や鮮度を管理・運用しているのに対し、間食類(チョコレートなど)の賞味期限管理はやや大雑把であり、賞味期限が過ぎた間食類が、隊員の自己責任で配布されることもあるとされる。
隊員
南極地域観測隊員は約60名で、そのうち約40名が越冬する。翌年度の隊が来た観測船で前年の越冬隊が帰国するため、基地には常に人がいることになる。隊員はオーストラリアまで空路で移動し、そこから南極観測船に搭乗する。
南極観測船は海上自衛隊所属の自衛官(女性含む)によって運航される。所管は文部科学省と極地研究所。2017年2月から2018年2月を担当したのが58次観測隊で、2018年2月からは59次観測隊、2019年2月からは60次観測隊の担当となる。越冬交代式は近年通常2月1日に行われている。
1次越冬隊の際に有名になった樺太犬など犬ぞり用の犬は、その後環境保護に関する南極条約議定書(付属書II第四条)により生きた動物や植物などの南極への持ち込みが禁止されたため、現在はいない。
隊員は国家公務員の男性であるが、専門技能を持った民間企業の社員や、みなし隊員として民間企業出向の女性も派遣されている。隊員は精神面も含めて「完全に健康」であることが求められ、高血圧などの生活習慣病を含めて、何らかの疾患を抱えるものは隊員としては採用されないが、研究分野の関係で代替する人材がない場合は、この限りではない。越冬中は個人に対し4畳半の個室が貸与されている。
医療体制
医師2名が派遣されている。医師は一般公募制で女医の就任事例も少なくない。書類選考、面接で選考されるが、競争倍率は公表されない。凍傷や骨折を含む外傷治療が中心であるが、虫垂切除術が行われたこともある。出産に関する設備はなく、南極観測船が日本に向けて出発する前に女性越冬隊員に対しては妊娠検査が義務づけられる。
医務室の対応能力としては二次救急相当の機能であり、心筋梗塞や脳出血といった三次救急相当の能力はない。また他国基地への移送も雪上車で1か月程度かかり現実的ではないため、隊員は非常時の対応について強い制約がある旨を了承する誓約書の提出を求められる。
医師のみならず、一般隊員に対してもギプス固定や縫合のレクチャーが行われ、一般隊員が医療行為を行うこともある。これは、内陸のドームふじ基地への遠征観測(1か月前後かかる)には医師1名が同行し、その間は基地内に医師1名の体制となるほか、医師も重機の操作や観測機器の設営など日常的に屋外業務を行っており、常に建物内に医師がいる状態ではないためである。2名のうち1名は外科医・救急科医が就任することが多い。また、過去の着任医師には産婦人科医や泌尿器科医もおり、専門は多岐にわたっている。医師は歯科治療も担当するが、齲歯に対する抜歯処置が中心で、出国前に抜歯を中心としたレクチャーを受ける。
通信設備
2018年現在、南極には海底ケーブルなどの通信網は存在しておらず、通信のすべては無線機器によって賄われている。デジタル通信が主流になるにしたがい、1997年にはインマルサットを用いた通信衛星によるダイアルアップ接続が2時間ごとに行われ、電子メールやファクシミリのやり取りが可能となっていたが、無線パケット通信データの肥大化にともない、通信量が常に逼迫している状況に陥っていた。
2004年、第44次越冬隊によってインテルサットアンテナが敷設され、昭和基地におけるインターネットの常時接続が実現した。接続速度は3Mbps程度となるが、観測データのやり取り以外にも、教育活動としての南極からのリアルタイム授業や医療活動の際に、他医師との連携に用いられたり、余剰帯域については隊員のインターネット接続に利用されている。
無線設備の保守・運用要員として、KDDIより毎年1名が南極へ出向している。
タイムゾーン
タイムゾーンは基地の経度からUTC+3時間(JST-6時間)としている。
極地での研究や観測が我々の生活に役立っていることをあまり認識していません。しかし、目立たないような研究であってもそれが今の生活を支えていることがたくさんある。南極観測隊の方々、がんばってください。
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