父からの話 戦後成り上がり

終戦後、父は姉の旦那さんの仕事の手伝いをしていました。旦那さんは商売人だったようです。時代に合わせていろんな商材を扱ったようです。終戦直後は、闇市と同時にせんべい、菓子類は製造販売していたようです。父の兄弟は長女、長男、次男の父、三男、次女と5人。全員 長女の旦那さんの仕事を手伝ていました。旦那さんには本妻がいて、妾としては家族総動員で旦那さんのために尽くしたようです。旦那さんは商才はあったようでした。闇市と菓子などのある程度の財は成したようです。終戦から数年後、旦那さんは飲食の世界に鞍替えしました。浅草で和食の店を出したようです。料理人は腕の良い元宮内庁大膳課で腕を振るった方をスカウトしたそうです。料理人の世界は、縦の繋がりがあり師匠と弟子の繋がりはとても固いそうです。師匠からの命令は絶対的なものです。スカウトした料理人の弟子たちが集まり、腕の良い料理人をそろえることができたそうです。出される料理は評判となり、たいそう繁盛したそうです。しかし、料理人は職人です。気に入らないことが起きると仕事をしない。すぐに辞めるということも度々あったそうです。ある時、料理人と旦那さんとのトラブルが起こり、全料理人が一斉に辞める事件が起きたそうです。やむなく店はたたまなくてはならなくなったそうです。それからすぐに旦那さんは、店を出すことになったそうです。今度は新宿歌舞伎町。小さな寿司店から始めたそうです。今回も腕の良い寿司職人をスカウトしたそうです。この時スカウトした職人は浅草の名前の売れていた寿司店で働いていた方を強引に引き抜いたようです。そのような事情もあり浅草では商売ができなくなった経緯もあったようで新宿で店を出したようでした。寿司店は順調に売り上げを伸ばしどんどん大きくなった行きました。新宿歌舞伎町の靖国通りに面した場所に本店を構えるまでになりました。その後 多店舗展開を開始し店舗が増えるため、売上もどんどん伸びたそうです。それぞれの店舗は旦那さんの本妻の息子たちや妾の子供たちが責任者として配置されました。各店舗の責任は子供たちに任せていましたが、旦那さんはしっかり売上等の管理をし常に第一線で眼を光らせていたそうです。商売は順調に成長していたようでしたが、旦那さんが体調を崩し売上管理等がずさんになっていったそうです。旦那さんの病状はますます悪化し、ほどなく他界されたそうです。絶大な求心力で商売をひとりで仕切っていた旦那さんが他界したことですべてがバラバラになってしまいました。当然のようにお家騒動 相続問題で商売は衰退の一途。従業員の離反。商売は存続できなくなりました。

事業を継続するための準備ができていなかった旦那さんにとって、この結末はどうだったのか?と思いました。幹部の育成を怠ったため、事業継続ができなくなり経営者としては失格と言えます。しかし、自分一人で立ち上げた事業ですので、自分の他界とともに無くしてしますことは自分の勝手。事業を存続できなかったのは、子供たちの能力が不足していたこと。子供たちの自己責任。旦那さんは戦前、戦中、戦後を生き抜いた商売人です。世の中が大きく変わる現実世界を生き抜いた人です。すべては行動、結果は自己責任という考えが強かったのではなかったのかなと思います。混乱の時代に他人を犠牲にして自分は生き残った人です。とてもシビアなリアリストだったのでしょう。

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