就職 時代はバブルでした

時代はバブルでした。そして売り手市場でした。多くの学生は複数の企業から内定をもらい学生側が選ぶことができました。就職氷河期に就活された方々には申し訳ない状況でした。企業側はとにかく学生を集めることに苦労していたようでした。就職説明会、企業研究会などで学生を集めて実際は1次面接を行っていました。参加者には交通費はもちろん、その他にお土産も用意していました。内定者への厚遇も噂になりました。ホテルで会食や旅行などもあったようです。いわゆる青田買いが問題となり就職活動解禁日が設けられました。解禁日以前に就職活動を行ってはいけないという紳士協定です。しかし、実際は解禁日前に多くの学生は内定をもらっていました。解禁日は学生側の意思を企業に伝える日でした。その日に訪問した企業へ就職しますという意思表示です。また、企業側は内定者に逃げられないための拘束日でした。一応、面接らしきものやってその後は懇親会などでほぼ終日拘束されるのでした。企業によっては夜まで拘束するようでした。朝から夜までホテルで拘束というか監禁するような企業もあったようです。また、その後も研修旅行等を組み込み学生を逃がさない工夫をあれこれやっている企業もありました。当時、面接や企業説明会に参加すると必ず交通費を支給してくれました。実費のところもあれば、ざっくり1万円という企業もありました。

わたくしが就職する数年前から金融関係は絶好調でした。特に証券会社は鼻息荒い感じでした。説明会のお誘いは激しかったです。正直、わたくしの大学の成績はぎりぎりで卒業できた程度なので大したことはないのですが、その当時 証券会社ならすぐに内定もらえると確信していました。個人的な印象ですが証券会社はちょっと怪しい感じを持っていました。お客さまの手数料で商売しているのはどうかなっという感じでした。また、営業の言うことを聞いていたら大損させられたなどといううわさ話やきな臭い話をいろいろ聞かされたこともあり自分には向かない業種だなと考えていました。実際、自分は証券会社には就職しませんでしたし、高校時代の友人が証券会社に就職して大変苦労した話を聞かせれて行かなくてよかったとも思いました。

3つ年上の兄の大手生命保険会社へ就職しました。兄は財閥系の倉庫会社の内定をもらっていましたが、保険会社が強引に兄を連れ去った感じで保険会社に就職しました。保険会社も厳しいと噂できいていましたが、本当にいろいろ大変だったようです。勉強もしなくてはいけないし、資格も取らなくてはいけない。また、3年ごとに転勤するし、ほんとうに大変な感じでした。しかし、給料はよかったようです。

大学時代の先輩、同級生、後輩で金融関係に就職した人は結構いました。後輩の女子が金融関係に就職しました。入社して2か月で程度で初めてもボーナス。ろくに働いても食品メーカーに就職3年目のわたくしのボーナスの倍くらいの金額をもらっていることに驚きとわびしさを感じました。証券会社はとにかく羽振りがよかった印象です。

食品メーカーに就職したわたしは特にバブルの恩恵もかんじないまま日々過ごしていました。会社の先輩で株をやっている人がいてその人は仕事は適当でしたが、株は一生懸命やってました。たまに一緒に行動することがあり株の自慢話をきくことがありました。わたくしは株はギャンブル的な要素があり、自分には向かないとおもっていましたので全く興味がありませんでした。その株おじさんは他の先輩たちに株の指南をしていましたが、指南された先輩からは儲かった話は聞かなかったです。得意先でも株や不動産投資をやり始めた人がふえていたのが当時の印象です。株おじさんは得意先でも株指南をしたりしていました。バブルが始めるまでは結構羽振りのいい話をしている人が多くいました。

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