もう3月です

1月、2月が終わりもう3月を迎えます。今年の1/6が終わったことになります。年齢を重ねると1年が過ぎるのが本当に早く感じます。

3月の出来事で思い出すのが東日本大震災と地下鉄サリン事件です。地下鉄サリン事件は1995年3月20日の月曜日に起こりました。同じ年に阪神淡路大震災が起きてました。1995年1月17日 この日も月曜日でした。当時、勤めていた会社へ出勤経路で日比谷線の築地駅を利用しておりました。今もその当日の事を覚えております。1月に起こった阪神淡路大震災は当時勤めていた会社に大きな打撃を与えました。本社と生産工場が神戸市内に有ったのです。製造工場の生産ラインは使えない状態になりました。復旧の見通しが立たない状態となりました。また完成商品を保管していた倉庫も被害があり、使える商品を運び出すにも大変苦労しました。また、物流も混乱しており、救援物資の輸送が優先され商用物流は二の次という状況でした。ほそぼそと東京へ運ばれてくる商品は需要を満たすレベルではありませんでした。その当時、東京支店の管理職が協議し、入荷する商品を割り当てする会議が毎日のように行われました。2月に入り主力商品の供給に改善がありました。同業の会社が主力商品の最終段階を担ってくれるということになりました。中身は神戸本社工場に貯蔵していたものが使えましたので、それをタンクローリーに移送し協力してくれる会社へ運び込み製品として供給できるようになってきました。その主力商品も十分な供給量ではないため、割り当て会議に掛けられました。当時のわたくしは埼玉県を担当しておりました。埼玉県の得意先の商品在庫を日々確認し得意先の要望をきき、供給可能な商品を手配するということを行っていました。今までとは違う業務のため、毎日早めの出社をしていました。

1995年3月20日月曜日 この日も朝早く出勤するため家を出ました。当時の通勤経路は自宅から最寄り駅は小田急線であったため、小田急で代々木上原駅まで行き、代々木上原駅で千代田線に乗り換え、その後 日比谷で日比谷線に乗り換えで築地駅で下車。そこからは徒歩で会社まで行っておりました。月曜日は1週間の始まりです。元気に出社と行きたいところですが、実際はそういうわけにはいきません。また、朝も早いためうつらうつらしながら電車のつり革につかまり乗り換え駅まで揺られていました。当時、スマホはありません。今は電車の乗客はほとんどの人がスマホを見ながら電車移動時間を過ごしていますが、当時は新聞を読んだり、本を読んだりしている人が多かったです。月曜日は週間ジャンプの発売日。月曜日の朝の電車の中でジャンプを読んでいる人は少なからずいました。当時ジャンプにはドラゴンボールやスラムダンク等人気漫画が連載されており大変人気がありました。当時、朝早く出社していたのは通勤電車が空いていたこと、会社にも来ている人が少なかったので事務整理するため集中して仕事ができたためです。わたくしが会社に到着するとすでに先輩社員が出社していました。その先輩はいつも一番早い出社をしていました。その先輩に朝の挨拶をして自分の仕事に取り掛かりました。小一時間が経過し、救急車や消防車のサイレンが聞こえてきました。時間の経過とともにその台数が増えてゆきます。大きな火事が起きたのだろうか?出社してくる社員の増えてきます。「築地駅で何かあったみたい。」「ガス爆発みたい」などと話をしています。今度はヘリコプターのプロペラ音が聞こえます。数機が集まってるようです。とにかく会社の近くで何か大変なことが起こっている。今ならSNSで何が起きているのかすぐにわかるのでしょうが、当時は混乱した情報が錯そうする感じでした。詳しい話が分かってきたのはその日の仕事を終えて帰宅しTVニュースで知りました。大変なテロ事件です。時間がずれていたら自分も被害者になっていた。その年の1月の阪神淡路大震災の時も思いました。何かが変わっていたら自分の被害者となっていた。怖いと感じるとともに自分は運が良いのかもとも思いました。

 

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