神社やお寺へ行くのが好きです。なぜ好きなのか?それはその場所が気持ちいいからです。神社の鳥居をくぐったその瞬間に空気が変わったことに気づくこともあります。それまでは憂鬱な気持ちであっても、神社やお寺に行くと気持ちが晴れることもあります。
神社やお寺の縁起等を見ると昔の武将が勝利祈願を行ったとの記述がたくさんあります。今、NHK大河ドラマで『鎌倉殿の13人』でも番組の最後にゆかりの地が紹介されます。その中には多くの神社やお寺が紹介されています。第14回の放送は、木曽義仲が戦勝を祈願したと伝わる富山県の埴生護国八幡宮が紹介されていました。宮縁起によれば奈良時代養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請【かんじょう】(お迎え)したのに始まり、天平時代に越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられる。ご祭神は八幡大神。「やはた」の大神(おほかみ)とも呼ばれ、譽田別天皇(ほむたわけのすめらみこと)すなわち 応神天皇と一体である。多面的な御性格【農業神、鍛冶神、国家神、軍神など】で、八幡大菩薩とも称せられ、仏教とのかかわりが深かった。
昔は人々の生活の中に自然が大きく関係していた。自然は神様の御業そのものです。したがって神様と人との距離が近かったと思います。神様に感謝し、また同時に神様を恐れ敬った。神様の持つ偉大な力による加護を受けたいと願い人々は祈りを願った。人にはできないこと、神様でないとできないように思えることは確かにあります。地震や台風などの自然災害はまさにそのものと思います。地震や台風がなぜ起こるのか?科学が解明してくれています。しかし、そのメカニズムをどんどん掘り下げてゆくと説明しきれないことにたどり着いてします。そもそも地球がどうやってできたのか?様々な説があります。宇宙がどうやってできたか?ビッグバンから宇宙が始まったとされています。全くの「無」からビッグバンにより時間と空間の種ができたと言われています。「無」から「有」ができた。これぞ神業です。宇宙ができたこと自体が神業です。宇宙に存在するすべては自ずと「空」から「色」とも言い換えることができる。また生命の神秘も神の御業。人の体を構成している物質はすでに分かっています。その物質を集めて形を整えても命は宿りません。命を宿す方法は人の力ではできません。
わたしたちの身の回りには神様の御業に溢れているのです。神様と呼ぶべきなのか創造主と呼ぶべきなのか、そのような存在がいないとできないことばかりがあります。ひとはその存在を感じ神と呼ぶようになったのでしょう。自分の力では及ばないことを神の力を借りて成就する。時にはその願いはかない、時には叶わない。叶った経験が積み重なり習慣化していく。また、願いが叶う方法を考え出す。そのようにして宗教的儀式がつくられたと想像します。願いをかなえてくれたら、その御礼を神様にしたくなる。また、お願い事をする。今度は前もって前回した御礼を神様へしてからお願い事をする。お願い事が叶ったら、前回以上の御礼をする。そうしてどんどん御礼がエスカレートしてゆく。このようなことも起こっていたと思います。また、そのような人の心理を悪用する人も出てきたのでしょう。人の弱みに付け込む悪人がいます。願いをかなえてやるから御礼を提供することを強要する。御礼が足りないから、願い事が叶わないからもっと出せ。これもどんどんエスカレートします。貢いだ御礼が無駄にならないためには、御礼を継続しなくはいけないとも強要する。もう、歯止めが利かない状態。どんどん食い物にされてします悲劇が起きる。世の中にはいいひとがいっぱいいます。しかし、悪い人もいます。悪い人に騙されないよう気を付けましょう。
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