5月23日に思うこと

2020年5月木村花さんが亡くなってたことがわたっか日が23日でした。最近でも有名芸能人の方が自ら命を絶つ報道がありました。なぜ自ら命を絶つのか?そのような行動をとる人は心が弱い人と思っていました。心が弱く根性がないひとがそのような行動をとると思っていました。しかし、考え方を変えると大それた行動をとれるのであれば、決めた事を実行できると考えると決して心が弱いとは言えないです。実行力も行動力もあるのです。そのような行動は心が弱いのではなく、心が病んでいるのです。病んでる心では、そのような行動に対する考えを肯定し、それを実行するようにどんどん考えや行動が進んでしまうと思います。どんどん深みにはなり、そこから抜け出せなくなるのです。病んでいる心は自分で治すことはとても難しい事です。ひとの力をかりて治すしかありません。自分もそのような事を考えたことがあります。とにかく日々の生活が辛い。会社へ行くのが辛い。また、上司に嫌な事を言われる。この世界から抜け出したい。会社の人がいないところへ行きたいなどと考える日々が続いていました。30年以上勤めた会社を役職定年を機に退社しました。役職定年後は、雇用は継続してもらえますが、給料が約3割カットとなります。ほとんどの社員は役職定年後も退社することがありませんでした。待遇に文句を言いながらも働き続けています。自分はそんな人にはなりたくないと思っていました。後輩たちにそんなみっともない姿を見せたくないと考えていました。老兵は去るのみ。自分の働きが3割カットの値打ちしかないなら、それを認めてそこで働き続けるか。それとも退社し違う世界に飛び込むか。結局、わたしは退社することを選びました。それなりの準備をしたつもりでしたが、今から考えるともっと退職後の生き方を考え準備するべきでした。退社後、通信関係の会社の営業マンとして再就職しました。大学を卒業して食品メーカーの営業マンとして勤務してきました。それなりの成績も上げていましたので、ある程度の自信はありました。しかし、その自信はあっさり打ち砕かれました。新しく入った営業マンには顧客がいません。とにかく新規開拓をしなくてはなりませんでした。飛び込み営業をする日々でしたが、ほとんど売り上げにつながりませんでした。知名度も人脈もない飛び込み営業は辛い日々でした。オーナーは即戦力として採用したが、全く成績が上がらない。自分の居場所がないと感じる日々。苦しくて嫌な毎日。辛い日常から逃れたいと考えることが始まりました。死んだらこんな日々から逃れられる。そんな事を考えることが多くなりました。心が病んできたのです。その変化に家族が気づいてくれました。「辛かったら辞めてもいいんじゃない。」その言葉に救われました。違う視点から物事をみることができました。今まで近視眼的にしかとらえていなかったことが、俯瞰的に見ることができました。暗くて閉鎖的な世界が、一気に明るく広がって見えました。何を考えているんだと思うことができました。その時、シフトチェンジができたのです。最悪の結果から逃れることができたのです。

しかし、わたしの頭の中にはきっとまた自ら命を絶つ考えが浮かんでくると思います。人としての尊厳が保てなくなった時、具体的には寝たきりになったり、痴呆となった場合、自ら命を絶つという考えが浮かぶのではないかと思う。自分の命を永らえるために、ひとの時間を奪うことは嫌です。そのようなことは避けたいです。人に迷惑かけないでぽっくりこの世からおさらばしたい。それが本音です。多くの宗教で自殺はタブーとされています。生きることの心のよりどころ、心の支えが宗教であると思います。わたくし自身は特定の宗教を崇拝している人ではありません。宗教の光の面と闇の面があると考えています。宗教も一つの選択肢であります。何を選ぶか、何を断ち切るか すべて自己判断。自己の責任なのでしょう。

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