6月4日について調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。
1973年 – この日発売の週刊少年ジャンプにて、中沢啓治による広島原爆をテーマとした漫画「はだしのゲン」の連載が開始(以後、掲載誌を変えながら1985年まで連載が続く)。
週刊少年ジャンプはわたしが学生時代 結構たのしく読んでいた漫画雑誌です。ドクタースランプアラレちゃん、サーキットの狼、リングにかけろ、キン肉マンなどなどたくさんの漫画を毎週月曜日に読むのが楽しみでした。はだしのゲンはあまり好きではありませんでした。印象として絵が怖い感じがしていました。また、描かれている内容が暗く当時のわたしには合わない作品でした。しかし、今回 調べてみました。
『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画。同漫画を原作として実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作されている。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。
物語は、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(なかおか げん “以下、ゲン”)が、当時日本と交戦していたアメリカ軍により1945年8月6日に投下された原爆で、父・大吉(だいきち)、姉・英子(えいこ)、弟・進次(しんじ)の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描く。
舞台は1945年の広島市。戦況の悪化で市民生活が窮乏する中でも、ゲンの一家は家庭菜園の手入れに勤しみ、麦の実りを期待しつつたくましく暮らしていた。だがゲンの父で下駄の絵付け職人である大吉は隣組の竹槍訓練を「こんな事でアメリカに勝てるはずもない」と冷笑するなど、時節柄はばかられる反戦思想を隠そうともしない。そのため中岡家の家族は、町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、納品する下駄を川に投げ込まれたり、麦畑を荒らされるなど様々な嫌がらせを受けた。ゲンの長兄の浩二(こうじ)は周囲の冷たい視線をはね返すため海軍の予科練に志願し、ゲンの次兄の昭(あきら)は、広島市郊外の山間部に疎開に行っていた。昭和20年8月初頭、広島の家に残っていたのは大吉、ゲンの母・君江(きみえ)、ゲンの姉・英子、ゲンの弟・進次、そしてゲンの5人。英子は昭より年上だったが、体が弱かったため疎開できなかった。
昭和20年8月6日朝。小学校の門の前にいたゲンは突然の閃光と爆風で気を失う。偶然にも門の影にいたことで無傷だったが、気が付いてみると町は一面に押しつぶされ、人々は全身の皮が焼け剥がれた姿で呻いている。状況が解らぬまま自宅へもどってみると、自宅も同様に押しつぶされて大吉・英子・進次が木材の下敷きになっている。偶然にも無傷だった君江と再会したゲンは協力して家族を助け出そうとするも果たせず、大吉はゲンに強く生きることを願いつつ、英子や進次とともに火災に巻き込まれ焼け死んでいく。半狂乱となったところを朝鮮人の朴に諭されて避難した君江は、ショックで女児を出産。名前は、友達がたくさんできることを願って「友子(ともこ)」と名づけられた。焼け跡で食料を探すゲンは熱中症で倒れたところを死体と間違われ、救護に訪れた兵隊によって火葬の炎に投げ込まれる。悲鳴を上げたゲンを火中から救い出した兵隊は、誤りを詫びてゲンを救護所へ連れて行こうとするが、途中で血便を垂れ、頭髪が急に抜けるなどの症状の末に急死してしまう。兵士は入市被爆で原爆症を発症していたのだ。やがてゲンの髪も抜け始め、彼は自分も「ピカの毒」で死ぬのではないかと恐怖する。髪の毛が全て抜け落ち坊主頭になったゲンは、道端で拾った消防団の帽子で頭を隠し、友子のための米を調達すべく奔走した。
ゲン達は江波 在住で君江の友人のキヨの家に身を寄せ新たな生活を始める。しかしそこでは、キヨの姑や子供達からの迫害に甘んじる。そんな折、ゲンは死んだ弟の進次に瓜二つの少年と出会う。その少年、近藤隆太(こんどう りゅうた)は原爆で両親を失い、原爆孤児の仲間と共に、農家から食糧を盗み飢えをしのいでいた。隆太と初めて会ったゲンは、進次が生きていたのではないかと錯覚する。2回目に会った時、隆太は食糧を盗もうとしていたところを百姓に追い回されていた。ゲンは隆太を助け、君江が隆太を育てることになった。それ以降、隆太はゲンや君江を自分の兄や母のように慕い続ける。
ゲンは江波で仕事を探していたところ、地元の資産家・吉田英造に声をかけられる。連れて行かれた家では、全身大やけどの青年が血を吐き血便を垂らし、大量のウジにたかられていた。その青年・吉田政二(よしだ せいじ)は英造の弟で画家志望生だったが、勤労奉仕に出た広島市内で被爆したのである。英造の妻と娘たちは「ピカドンの毒がうつる」という噂を信じて隔離し、ろくに看病もしない。そこでゲンが政二の世話をまかされることになる。両腕は焼けただれて絵も描けず、家族に見捨てられた政二は自暴自棄に陥っていたが、ゲンや隆太の叱咤や励ましに心を開き再起、口で筆をくわえて絵を描くようになる。
政二はゲンに絵画を教える約束をするが、ほどなく原爆症の悪化で死に至る。だが、通夜の後に急に蘇生し、棺桶からはいずり出て「おかゆが食べたい」と兄家族に迫る。しかし、政二の兄家族は恐れおののいて箒で突き飛ばすなど、生前同様に邪険に扱うのだった。夢で虫の知らせを察知したゲンは政二の家に駆けつけたが、正にその時、政二は死んでいた。 被爆した政二を受け入れられず、都合良く世間体ばかり取り繕う家族にゲンの怒りは頂点に達する。政二の火葬は「政二さんは何度も死ぬのが好きじゃのう」と言いながら、ゲンと隆太は明るく天国へ見送った。
戦後
8月15日に終戦を迎えた後、疎開先の昭と予科練に出た浩二が広島の焼け跡に戻り、中岡家は隆太を含めて6人で暮らすようになった。しかし、キヨの姑は息子(キヨの夫)が戦死した悔しさから息子を抱えた君江に一層つらく当たり「家賃を高く払ってくれる人がきた」との理由をつけて一家を追い出してしまう。一家は防空壕跡の洞穴で生活し、その後は、家族で建てたバラックに移り住んだ。ゲンと隆太は食料調達の奔走中、謎の復員兵と出会い、進駐軍駐屯地から死ぬ覚悟でミルクを盗んでくるが、実は復員兵はヤクザで、ミルクは闇市で叩き売りされてしまう。
騙されたことに気がつき怒ったゲンと隆太はヤクザの男2人に鉄パイプで食ってかかるも、返り討ちにあってしまう。隆太は以前にゲンと共に入手した陸軍の武装解除により廃棄されていた拳銃を持ち出してきて2人を殺害。警察に捕まりそうになった隆太は別のヤクザに助けられ、自分が中岡家に戻れば、中岡家まで白い目で見られることを知らされ、ヤクザの道に入る決意をした隆太は、迷惑をかけないようゲンたちの前から姿を消し、ヤクザの子分(鉄砲玉)として仕立て上げられることになる。
隆太との別れから数か月後、ゲンは次兄・昭と久しぶりに学校へ行くようになった。栄養失調に苦しんでいた友子は、ゲンの友人の雨森頑吉(あまもり がんきち、通称・クソ森)の住む集落で暮らす、原爆で孫を失った男性とその仲間達に連れ去られた。男性たちは友子を「お姫さま」と慕い、孤独な自分たちの心の支えとしていた。ゲンは友子を奪い返そうと男性たちと押し問答となる。だが友子も原爆症が発症し、病院で診てもらうが、適切な治療を受けられなければ手遅れと宣告される。ゲンは治療費の10万円を稼ごうと、雨森と共に近所の原爆症で死去した人々の家を訪ねて、お経を唱えるアルバイトを始める。しかし目標の金額には達しなかった。
そんな中、原爆投下前に中岡家の近所に住んでいた朝鮮人の朴(ぼく)と偶然に再会する。戦後、不法な闇市で財を成して資産家になっていた朴は、かつて中岡家から受けた恩義(大吉が朴を差別しなかった)から10万円と缶のミルクをゲンに気前よく渡した。大喜びで帰宅するゲンだったが時すでに遅く、ゲンは昭から友子の死を告げられる。ゲンは死を受け入れることができず、友子にミルクを飲ませようとする。しかしミルクは友子の口元からあふれ出し、友子の死を認めざるを得なくなる。友子の火葬は、ゲン、君江、浩二、昭と朴、雨森に友子を「お姫さま」と慕った男性たちが見守る中で営まれた。火葬の際、ゲンは死んだ友子のために、お経(正信偈、白骨の御文章)を唱えて友子を浄土へ還した。
友子に生を与えた一人者は産婆ではなく、ゲンだった。そして、ゲンは三人兄弟の中で最も友子をかわいがっていた。それだけに友子の死は、母・君江とともにゲンにも大きな精神的ショックをもたらした。友子の死後、丸ハゲだったゲンの頭にも毛が生えはじめ(友子の看病に躍起で頭髪が生え始めていたことに気が付いていなかった)、家の焼け跡に植えた麦も芽を出しはじめ、改めて父の言葉を思い出し、妹の死という失望と絶望の淵から生きる希望へ繋がって行く。
市民・文化評論・教育評論掲載期(第二部)
その後、ゲンは別れた隆太と学校で再会する。ヤクザの岡内組の鉄砲玉として働いていた隆太には、かつての仲間だったムスビ、ドングリと、勝子(かつこ)が一緒にいた。ヤクザの幹部を夢見ていた隆太だったが、ドングリの死をきっかけにヤクザの世界から足抜けし、絶縁をした。その頃知り合った老人、平山松吉と共に新しい生活を始め、松吉は両親のいない隆太達の父親代わりになる。同年に昭和天皇が広島に訪問しており、それ以降ゲンは天皇の戦争責任を言及するようになる。
そんな折、君江の体も原爆症に蝕まれた。浩二は君江を助けるため、福岡県の炭鉱に出稼ぎに行ったが、浩二は働いて得た金で酒びたりとなり、仕送りが全く出来ていなかった。入院させようにも金がなく、どこの病院も断られてしまう。状況打開のため隆太はヤクザの賭場荒らしをして大金を手に入れ、君江は入院することができた。しかし胴元である打山組の組長は激昂、隆太を殺すべく広島市内に包囲網を敷く。逃げ道がないと知ったゲンは病気の身体を圧して現れた君江と共に警察へ行くよう説得して隆太は自首した。
1948年、原爆投下直後に米をもらいに行った際に出会った、英子そっくりの女性・大原夏江(おおはら なつえ)に再会する。もともと芸妓志望だった夏江は顔に大火傷を負い、それを苦にして何度も死を考えていたが、ゲンの発奮により、勝子と洋裁店を開くという夢を持つようになる。そんな折、松吉が原爆症で死の床に倒れる。隆太は共に脱獄したノロの自分を感化院に入れさせた叔父へ対する復讐に協力し、叔父に奪われた50万円相当の財産を取り返すことに成功する。ノロから分けてもらった財産の一部で朴に頼み(朴はお金は要らないと断った)、松吉の小説『夏のおわり』を自費出版するが、ゲンや隆太達に看取られながらこの世を去った。
ゲン・隆太・ムスビの3人は、松吉の遺作『夏のおわり』を頒布している所をアメリカ軍の兵士に連行され、アメリカ軍基地で日系アメリカ人のマイク・ヒロタ少尉に取り調べられ、ここでゲンは初めてアメリカ人に原爆投下の怒りをぶつけたが、ヒロタ少尉は真珠湾攻撃のことを持ち出し正当化するだけだった(なお実際は、当時広島県を含めた中国及び四国地方を占領下に置いていたのはアメリカ軍ではなくイギリス軍であった)。
ゲン達はアメリカ軍基地の牢屋に監禁されたが、3人が拷問を受けるダメージを少しでも軽減するための訓練をしている所を見たヒロタ少尉に、精神に異常を来たしていると勘違いしたために不必要と判断されたゲン達は、監禁されていた米軍基地から外に連れ出され、置き去りにされる。そのまま広島に戻った3人は、朴の協力で先ほどのアメリカ軍のやり方による反発と自分達の腹癒せにアメリカ軍のジープやトラックを片っ端から破壊する。
アメリカ軍基地から連れ出され、アメリカ軍のジープやトラックを破壊して数日振りに家に帰ったゲンは、母・君江が退院したことに喜びを隠せなかった。しかし、胃癌で、家族には4か月の命と宣告されていた。ゲンは、生前最後の楽しい思い出を作ろうと母・君江の思い出の場所、京都へ旅行させるため、肥え汲みをして金を稼ぐ。京都旅行ができる金額に達した頃、浩二が九州から帰ってくるが、無為に日々を過ごしていた浩二は家に入りづらく、ゲンは自分が稼いだ金を浩二が稼いだものということにして、京都旅行に出発する。しかし旅行中に容態が急変し吐血。君江はゲンたちに看取られながら息を引き取った。火葬の際、君江の遺骨は放射能障害のためか、ほとんどが焼け崩れて残らなかった。君江の死に落ち込んでいたゲンだったが、大吉と君江の幻影に励まされ立ち直った。
中学生になったゲンは、戦争を肯定する同級生・相原と最初は衝突するが、実は相原は自分が原爆症で自身の生命がそう長くないことを悟って生きることに対する虚無感を抱いたためで、本心では戦争を憎んでいた。その後、ゲン達と共に戦争反対の行進の列に加わる。
また洋裁店を開こうと話が順調に進む中、急に夏江が腹痛を訴える。夏江は盲腸で入院となったが、入院した後体調が芳しくなく、手術しても原爆症による白血球の減少で傷口が塞がらなかった。死期を悟った夏江は生きる希望を失っていくが、ゲン達に叱咤激励され、励まされる。
ゲンの担任の教師・太田は、レッドパージで教師を辞めさせられ、覚醒剤に手を出すまでに絶望していたが、ゲンや隆太や雨森達クラスメート達のお陰で立ち直り、自分の学校を作ることを決意する。
瓦礫の中から材料を集めて建てた家も、広島市の復興計画による道路拡張工事のために、ゲンと隆太の必死の抵抗も空しく取り壊されることになった。そのため、浩二は婚約者の広子と広島市内のアパートで暮らすことになり、昭は繊維問屋の商人になるために大阪へと旅立った。
1950年12月31日、夏江は直腸癌と急性心臓麻痺が原因でこの世を去った。夏江の遺骨をゲンの家の墓に納める過程で、父・大吉の遺志を継ごうと絵描きになることを決意、夏江の遺骨の件で知り合った画家の天野の教えを受ける。しばらくしてゲンは納品間近の看板を壊してしまい、それがきっかけで職人の大月や部下の黒崎と乱闘騒ぎを起こしてしまう。弁償をするため看板屋で働くことになったが、外で仕事をしている姿を天野が見つけ、天野は代わりにゲンが壊してしまった看板へ絵を描く作業をやったのである。看板屋の仕事を手伝うようになった天野は、看板屋の社長に絵の腕を認められ、ゲンが負傷を負わせた社員・大月の代理として雇われる。しかしそれを面白く思わない黒崎が雇ったチンピラの二人組に襲撃されるが、返り討ちにして卑劣な振る舞いをした黒崎を叱りつける。黒崎には原爆孤児になって僧侶に拾われるも奴隷同然にこき使われ、理不尽な暴力を受け続けた過去があり性格がいつの間にか歪んでしまったとゲンに語る。一方、隆太は設立されたばかりの広島カープの応援に熱中する。
1953年、ゲンは中学を卒業。ゲンはこの頃から髪を長く伸ばし、勝子が仕立てたジャンパーを身に着けたスタイルに一変する。波川中学校の卒業式に出席したゲンは、「君が代」の斉唱が始まる際にと「君が代」を歌うのを止めようとする。ゲンが「君が代」を歌わない理由は、「君が代の『君』は(昭和)天皇のことで、天皇を褒め称える歌である』と指摘し、昭和天皇が戦争犯罪者であることを恐れていた為であった。卒業式では「君が代」に代わる形でゲンの指揮により「青い山脈」を波川中の卒業生全員で合唱した。
式が終わり横道を筆頭とした不良グループからリンチされる教師達をゲンは雨森と救出し、教師達の横暴を叱責する。そして、ゲンは女学生(中学生)の中尾光子(なかお みつこ)に一目惚れをする。しかし、光子は弁償のために働いた看板屋の社長、中尾重蔵の娘だった。ゲンは重蔵と犬猿の仲であり、光子も当初は父親に叱られるのを恐れてゲンと交際するのをためらっていたが、隆太の一喝とゲンの想いを受けて交際を承諾、ゲンは光子との交際を始めた。だが、まもなく光子は原爆による急性白血病で死亡した。これにより軍国主義者の重蔵は自分の愚かさを知り、平和主義者へと転向、漸くゲンと和解する。
ゲンの仲間の1人、ムスビは洋裁店を開くために働いていたが、ふとした夜遊びがきっかけで麻薬中毒となってしまう。麻薬中毒となったムスビは麻薬を買うために、申し訳ないと思いつつも皆で貯めたお金に手を出し、挙げ句使い果たしてしまう。お金が無くなっても(体が)麻薬を欲しがるムスビは、麻薬の売人であるバー「マドンナ」のマスターの自宅に侵入して麻薬を探しているところを見つかり、リンチに遭い死亡する。原爆で孤児となり苦難を共にしてきた大切な親友であるムスビが麻薬中毒そして金儲けの道具にされて殺されたことに隆太は怒り心頭となる。隆太は、バー「マドンナ」に乗り込み、首謀者であるマスターを射殺し、愛人である女給に重傷を負わせ、さらに麻薬売買の胴元であるヤクザを2人射殺した。そして、敵討ちを終えた隆太は自首することを決意するが、刑務所に入るのは間違いで戦争を起こした者たちこそ裁かれるべきだと叫んだゲンと勝子により反対され、東京へと向かう貨物トラックで勝子と共に逃亡する。
ムスビの遺骨を自分の家の墓に納めたゲンは、その後、重蔵、天野、天野の孫の達郎に見送られ、未来に挑戦するために東京へ旅立った。その後「東京編」が作成されました。
映画化やドラマ化、アニメ化もされた作品です。いかに戦争体験を後世に残すか。戦争はやってはいけない。多くの人々を不幸にする。平和であることの有難さを教えてくれるすばらしい作品であることがわかりました。
コメント