6月30日に神社で夏の大祓をおこなっています。数年前に近所の神社へお参りに行った時、本殿の前に人がくぐれるくらいの大きさの藁でできた輪が設置されていました。すでに数名の参拝者がいて、その方々はこの大きな輪をくぐっていました。「何かのまじない?」と思って輪の横に立て看板があり説明が書かれていました。藁と思っていたのは茅(ちがや)という植物で作られていました。また、大祓は半年に1回 それまでの穢れを祓うために行われる行事です。茅で作られた大きな輪をくぐり穢れを祓います。1周目が左回り、2周目は右回り、3周目にもう一度左回りして参拝します。詳しい手順は以下の通りです。
1周目:茅の輪の正面に立ち一礼します。左足で輪をまたいでくぐります。左側に回って正面に戻ります。2周目:また正面で一礼して、今度は右足でまたぎます。右側に回って、正面に戻ってください。3周目:一礼してから左足でまたいでくぐり、左側に回って正面に戻ります。
お参り:一礼し、もう一度左足でまたいでくぐり、そのまま拝殿へ向かってお参りをします。
大祓についてもう少し詳しく調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。毎年6月と12月の晦日、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曽有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。中臣(なかとみ)の祓とも言われる。
大祓の初見は、『古事記』仲哀天皇の段にある「更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生剝(いきはぎ)、逆剝(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して」を指すとされる。これら祓うべきものたちを「天つ罪」「国つ罪」といい、世俗的な罪とは異なり、祓い清めるには普通の祓式で用いる短文の祓詞(はらえことば、のりと)ではなく、長文の大祓詞を奏上、あるいは宣(の)り下して浄化する。大祓詞には地上で国の人間が犯す罪が主体の「国つ罪」よりも農耕に関する慣行を破ることが主体の「天つ罪」のほうを先に列挙しており、古代ではこちらのほうが共同体秩序を乱す大罪と考えていたことが窺える。
大祓詞の内容は、元々は6月と12月で内容が異なっていたが、『延喜式』に「六月晦大祓、十二月此准」とあり、6月のものが残ったとされる。現在は神職が神へ奏上する形をとっているが、『延喜式』に残された内容からは、本来は参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけこれに「おう」と称唯(いしょう)して答えるのに始まり、天孫降臨からの日本神話、罪穢の種類の列挙、そしてその祓い方と、その後祓戸大神により、どのように罪穢が消えていくかを言い聞かせる内容となっていた。
このように、大祓は、これら既に起きてしまった災厄をリセットして今後の国体の鎮守を図る意味の他、共同体の構成員に全員の参加を義務付けて宣下する本来の形式が推定されることから、上位の政権による“禁忌を犯してはならない”という法を広く知らしめて遵守させる側面があったと考えられる。
現在は大正3年(1914年)に当時の内務省の選定による神話や障害者に対する差別的な表現内容を含む天つ罪・国つ罪の列挙の部分が大幅に省略された大祝詞が奏上される。これは中臣祭文(さいもん)とも言われ、現在の大祓詞はこれを一部改訂したものになっている。
茅の輪くぐり
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。
これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。多くの神社で祭神としているスサノオと習合している例が多数見られる。
疫隈國社 素盞嗚神社では蘇民将来説話に基づいて、茅の輪くぐりを行った後に解体し、持ち帰って個々に茅の輪にする風習が残っている。
しかし、京都新聞では、次のような記事を2019年に書いている。 茅の輪の”茅”を引き抜き持ち帰ってお守りとする俗信がある。しかし、本来は茅の輪をくぐった人たちの罪や穢れ・災厄が茅に遷されており、茅を持ち帰ることは他人の災厄を自宅に持ち帰ることになるので(茅の輪のカヤを抜いて持ち帰るのは)避けるべきである。
茅の輪に独特の形式を施しているところがある。奈良県の大神神社では茅の輪は榊・杉・松をかかげた3連になっており、周り方も他の神社とは異なり、杉の輪 → 松の輪 → 杉の輪 → 榊の輪 の順にくぐる。出雲大社の茅の輪は「〇形」ではなく、「U形」をしている。これを神職が両手で持ち、参詣者は、縄とびをするように飛び越える。茅を跨ぐと同時に両肩にかついた茅を落とす。また、ペット(主に犬)の茅の輪くぐりも広く行われている。
半年が過ぎてここで一つの区切りとなる6月30日。穢れを祓い、気持ちも新たに残りの半年を過ごそうとするための儀式。昔から行われている行事にはそれなりの意味と必要性があったので今でも行われているのだと感心しました。
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