1914年 – 第一次世界大戦:日本(大日本帝国)がドイツ帝国に宣戦布告。
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、英: World War I、略称:WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国との間で繰り広げられた世界大戦である。
7000万以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万)が動員され、史上最大の戦争の一つとなった。第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。史上死亡者数の最も多い戦争の一つであった。戦争が長引いたことにより革命が勃発し、4つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊した。終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、その結果わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発した。
戦争は世界全ての経済大国を巻き込み、それらを連合国(ロシア帝国、フランス第三共和政、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の三国協商に基づく)と中央同盟国(主にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国)の両陣営に二分した。イタリア王国はドイツ帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を締結していたが、未回収のイタリアを巡ってオーストリアと対立したため、英仏とロンドン密約を結んで連合国側で参戦した。
諸国が参戦するにつれて両陣営の同盟関係は拡大されていき、例えばイギリスと同盟を結んでいた大日本帝国は連合国側に、ドイツと同盟を結んでいたオスマン帝国は中央同盟国側について参戦した。
参戦国や戦争に巻き込まれた地域は、2018年時点の国家に当てはめると約50カ国に達する。
名称
第一次世界大戦は、第二次世界大戦が勃発するまで、単に世界戦争 (World War) または大戦争 (Great War) と呼ぶのが一般であった。あるいは、欧州大戦 (War in Europe)、戦争を終わらせるための戦争 (the war to end wars) という表現もあった。第二次世界大戦以降は、主に第一次世界戦争(First World WarまたはWorld War I)と呼ばれるようになった。このうち「世界戦争」(ドイツ語: Weltkrieg) という用語が初めて使われたのはドイツ帝国であり、この名称が使われた背景にはドイツの帝国主義政策「世界政策」 (Weltpolitik) の存在などがあったという。1917年のアメリカ合衆国参戦後、合衆国国内でも「世界戦争」という名称が従来の「ヨーロッパ戦争」に取って代わった。
「第一次世界戦争」(First World War) という語が初めて使われたのは、1914年9月、ドイツの生物学者、哲学者であるエルンスト・ヘッケルが「恐れられた『ヨーロッパ戦争』は疑いもなく(中略)完全な意味での初の世界戦争 (the first world war) となるだろう」と述べた時だった。1939年に第二次世界大戦が勃発した後「第一次世界戦争」という用語が主流になったが、イギリスとカナダの歴史家はFirst World Warを、アメリカの歴史家はWorld War Iを多用した。
一方、「大戦争」(英語: Great War, フランス語: la Grande Guerre) という語は、主に大戦中のイギリス・フランス両国で用いられた。カナダでも1914年10月号のマクリーンズ誌が「大戦争」(Great War) とした。1930年代以降、英仏両国でも「世界戦争」が第一次世界大戦の名称として使われるようになるが、2014年においても第一次世界大戦を指して「大戦争」と呼ぶ用法は両国内で広く用いられているという。
歴史家のガレス・グロヴァー (Gareth Glover) は著書の『100の物が語るウォータールー』(Waterloo in 100 Objects) で、「この前置きは大戦争という名称が常に1914年から1918年までの第一次世界戦争を意味する環境で育った人にとっては当惑するものかもしれない。しかし、1918年以前を生きた人々にとって、大戦争という称号はイギリスが1793年から1815年までの22年間、フランスと戦った革命戦争とナポレオン戦争を意味した」と述べた。例えば、歴史家のジョン・ホランド・ローズは1911年に『ウィリアム・ピットと大戦争』(William Pitt and the Great War) という著作を出版したが、題名の「大戦争」はフランス革命戦争とナポレオン戦争を指している。
木村靖二によれば、日本で定着した名称「世界大戦」は、「世界戦争」と「大戦争」のいずれでもなく両者を組み合わせたものであり、他国には見られない珍しい名称であるという。
コメント