吉田の火祭(よしだのひまつり)は毎年8月26日に開催されます。ウイキペディアには以下の記述がありました。
吉田の火祭(よしだのひまつり)は、山梨県富士吉田市上吉田(かみよしだ)地区で行われる祭りである。日本三奇祭のひとつ。北口本宮冨士浅間神社と境内社(摂社)である諏訪神社の両社による例大祭で、毎年8月26日の「鎮火祭」と、翌8月27日の「すすき祭り」の2日間にわたって行われる。
火祭りの名の通り、上吉田地区の金鳥居(かなどりい)から北口本宮冨士浅間神社にかけた約1キロにおよぶ本町通りの沿道では、高さ約3メートルの大松明70本から80本余りが燃やされ、各家ごと作られる井桁状に組まれた多数の松明も燃やされる。夕暮れ時、大松明に次々に火が点されると、吉田口登山道に沿った富士山の山小屋でも一斉に松明が焚かれる。麓の町と山は一体となって火祭りを繰り広げ、上吉田の町は火の海と化し深夜まで賑わう。
吉田の火祭は、北口本宮冨士浅間神社、諏訪神社、両社の例大祭としてばかりではない。祭事の背景には富士講や御師といった富士山への民間信仰や、富士五湖地域の風俗習慣、今日もなお神仏習合の姿が見られるなど民俗学的要素も多分に含まれている。2000年(平成12年)12月25日には、国によって記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択され、2012年(平成24年)3月8日には、山梨県内では3件目となる国の重要無形民俗文化財に指定された。文化庁による指定種別は風俗習慣である。
概要
夏山の富士山登拝の山仕舞いを意味する祭りで、講社でも火祭りまでに登拝を済ませている。木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の故事に由来する祭りである、と一般には言われている。かつては旧暦7月21日に行われていたが、明治期に新暦8月21日から22日に改められ、大正初期に現在の8月26日・27日の両日に改められた。
祭りの運営は、古くより北口本宮冨士浅間神社祭典世話係(世話人)と呼ばれる年毎に選出された氏子代表14名の男性と、御師家、富士講社らの信徒組織を主体として、現在では地元商店や民間企業らも参加している。大松明(結松明)は高さ3メートル強、赤松などの薪を経木で囲み荒縄で締めて筒状にしたものである。世話人は松明の奉納者を募集して寄付金を集め、依頼を受けた職人が7月下旬頃から製作する。大松明は上吉田の本町通りに70本から80本ほど掲げられ、沿道の家々でも門前に井桁松明を立てる。明治期には「富士山北口全図鎮火大祭」など浮世絵にも描かれた。
御師家では屋敷地や白蛇が下ると言われる川沿いの草刈りなど清掃作業を行う。その年に不幸のあった者は「ブクがかかる」と言われ、不浄であるとされて祭りには参加しない。ブクのかかった家では「手間粉」と呼ばれる小麦粉や蕎麦粉などの贈答物を贈る「手間見舞い」が行われ、火祭りの際には親戚宅などへ宿泊するか(手間に出る)、または手間着を着て自宅での謹慎を行う。
祭りは2日間にわたり行われる。26日の夕刻から夜半にかけて松明を焚く行事である鎮火祭が一般に「吉田の火祭り」と呼ばれるが、鎮火祭はいわゆる宵宮であり、本祭は翌27日の「すすき祭り」である。なお、火を使用する祭りであるが雨天や台風であっても延期や中止にはならず、必ず8月26日・27日の両日に催行され、松明の火を火元とする延焼などの火災は一度も起きていないという[8]。
2013年9月1日の時点で、富士吉田市の人口は5万1423人。そして同年8月26日の鎮火祭には約19万人の地元住民や観光客らが詰めかけた。
2020年5月11日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、開催の可否について関係者協議を行った結果、本年の開催を中止とすることが決定された。2021年6月27日、「2021年は規模縮小した開催」と発表された。
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