本日は昭和の日です。
昭和の日(しょうわのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は2006年(平成18年)までみどりの日だった4月29日。2007年1月1日施行の改正祝日法で新設された。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)の一部改正によって2007年(平成19年)に制定された祝日で、日付は昭和天皇の誕生日である4月29日があてられている。同法ではその趣旨を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧(かえり)み、国の将来に思いをいたす」としている。「ゴールデンウィーク」を構成する祝日のひとつでもある。
1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御ならびに第125代天皇明仁践祚(即位)により、祝日法の天皇誕生日に係る項を改正する必要が生じた。天皇誕生日が新帝の誕生日へ移動する点は旧法(年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム・休日ニ関スル件)の天長節と同様であるが、旧法と現行の祝日法における決定的な違いが先帝祭の有無であった。
先帝の崩御日は先帝祭(名称は明治期は孝明天皇祭、大正期は明治天皇祭、昭和期は大正天皇祭)として旧法では休日となっていたが、祝日法では休日とならない。そのため、先帝の崩御日ではなく誕生日を活かして「昭和記念日」など昭和に因んだ新祝日として存続させる案が当初から出ていたが、その案は見送られ、1989年(平成元年)以降の4月29日は「みどりの日」という名称の祝日に改められた。
2000年(平成12年)3月、自由民主党・自由党・公明党の連立与党が改正法案を参議院に提出。参議院は通過したものの、同年5月に内閣総理大臣森喜朗の「神の国発言」の影響で衆議院での採決が見送られた後、衆議院解散により廃案となった。
2002年(平成14年)に自由民主党と保守新党が再提出。公明党・自由党が賛成、2000年の法案に反対した民主党も賛成に転じて、2003年(平成15年)7月に衆議院を通過した。参議院で継続審議に入ったが、衆議院の解散により審議未了のまま廃案となった。
2004年(平成16年)、自由民主党・公明党が3度目となる改正法案を提出、翌2005年(平成17年)4月の衆議院内閣委員会で自由民主党・公明党・民主党の賛成多数により可決。参議院での継続審議を経て、5月13日の参議院本会議で成立した。同改正法は2007年(平成19年)から施行され、同年以降の4月29日は「昭和の日」、従前の「みどりの日」はそれまで「国民の休日」であった5月4日に上書き的に移動した。なお、同改正法にはこの二つの祝日設置のほかにも付随する改正(振替休日や国民の休日の重複を避けるための条文の変更等)が盛り込まれている。
同類の休日に1927年(昭和2年)から1947年(昭和22年)まで制定されていた、明治天皇の誕生日があてられた明治節(現在の文化の日)がある。明治節の制定については「永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶」と永劫性が認められるが、昭和の日の制定については永劫性が認められる箇所は特にないが「昭和天皇が先帝である間」に限定する箇所も特になく、平成時代における先帝祭である1月7日の昭和天皇祭の代用休日に留まるか否かも不明なままであった。時代が令和になって以後も昭和の日のまま継続しているが、退位後も存命である上皇(先代の天皇)の誕生日である12月23日は祝日から外れて平日に戻っており、同日の扱いが今後どのようになるかも不明である。
昭和の元号については『書経』堯典から→ 百姓昭明、協和萬邦
→百姓昭明にして、萬邦を協和す
昭和は登極令(皇室令の一部)による制度での最後の元号であり、1979年(昭和54年)の元号法制定の際、同法附則第2項により、「本則第1項の規定に基づき定められたもの」とされた。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。「昭和」が元号の候補になったのはこれが最初である。なお、江戸時代に全く同一の出典で「明和」(1764年〜1772年)の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省(現:宮内庁)作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。
昭和は自分が生まれた時代、成長した時代であります。会社に入り2年目で昭和の時代が終わりました。
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