なぜかいま、父の話を思い出した。

先日、石原慎太郎さんが亡くなったとのニュースがありました。調べてみると昭和7年生まれ。父と同じ年であることがわかりました。父は14年前にすでに他界していますが、生前 石原慎太郎、裕次郎兄弟と泳ぎの勝負をしたことがあるいったことがありました。湘南の海で石原兄弟と父親の兄弟と泳ぎの勝負をしたというのです。勝負は負け。石原兄弟は助っ人の活躍で勝ったらしいです。その助っ人が全国大会に出るような選手だったらしいです。うそかほんとかさだかではありませんが。

父は水泳は得意だったらしいです。実際、見たことはありませんが。しかし、母親から兄がまだ幼かったころ、夜の須磨海岸で兄を背負って泳いでいたらしいです。母から聞いた話なのでこれは本当の話だと思います。また、父は若いころ野球も得意だったようです。父の若いころの写真を見たときに野球のユニホーム姿を見つけました。確かに野球はやっていたようです。

父は飲食店に勤めていました。そのため日曜日も働いていました。幼い時に父と遊びに行ったことはほとんどありませんでした。数少ない思い出は、父が勤める会社の慰安旅行に一緒に行った時の思い出です。どこに行ったか覚えていませんが、観光バスに乗りオレンジの缶ジュースを何本も飲んだ事を覚えています。その缶ジュースは専用の小さな缶切りが付いていてそれで上蓋に2か所穴をあけて飲むというものでした。いまから考えると衛生的にどうなのか?とも思いますがその時代はあれでOKでした。オレンジジュースはリボンオレンジが定番でした。瓶入りのオレンジジュースしか飲んだことがなかった。缶入りオレンジジュースは珍しかった。甘くてとてもおいしいと感じました。父の同僚のおばさまたちは、わたしに缶入りオレンジジュースをバンバン勧めてきました。遠慮のない私は勧められるままにがぶがぶ飲んでました。川下りもしました。保津川下りだったのかもしれません。川の水をかぶって騒いでいたお客さんがいたような・・・そのときの慰安旅行かどうかはっきりしないのですが、競艇にも行ったことを覚えています。その時、父が大勝してその時に勝ったお金でゴールドの指輪を買ったと記憶しています。父はその指輪が気に入っていたようでずっとつけていました。父が亡くなる1年ほど前に、その指をを私に譲ってくれました。わたしは別に欲しいと望んでいたわけではありません。父は手が大きく指も太かったです。指輪は飾り気のないタイプでちょっと見いかつい感じのものでした。

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