7月に第2回目五芒星巡りを計画しています。次回は奥さんの喪が明けているので神社巡りを行います。奥さんが気になる神社様はまだあります。スタートの場所は神田明神様と決めました。神田明神様は奥さんの名前を付けていただいた縁があるのです。また、わたしは江戸北斗七星巡り文曲星のあたるのが神田明神様でわたくしにも縁がある事。そして一般的な神社様と比べて閉門時間が遅い事です。気になる神社様としては、明治神宮様、井草八幡宮様 3か所が決まったので大まかな五芒星を地図上にプロットしました。残る2か所ですが、1か所は五反田、大崎周辺。もう一方は板橋の蓮沼周辺となりました。次にgoogleMapで目的地周辺を検索し、口コミ情報件数の多い神社様をピックアップ。ホームページがある神社様なら縁起物を授与いただき事が可能と判断しました。結果、大崎鎮守 居木神社様が候補となりました。
由緒についてホームページに以下の記述がありました。ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられています。江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に御動座されました。その折、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」と称されました。
元禄郷帳に居木橋の石高は230石余、72戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く社頭は大変賑わったと記されております。明治5年、社号を「居木神社」と改め、同6年旧制の「村社」に列格、続いて同29年および同42年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」の3社6座が合祀されました。
昭和5年には氏子の崇敬熱意によりご社殿の改築にかかり、同8年9月に竣工されましたが、その荘厳を極めたご社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上しました。以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み、昭和52年5月5日着工、同53年3月3日上棟、同6月10日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、ときわなる居木の森高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至りました。
境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政4年(1792)に、石灯籠は弘化2年(1845)に奉納されたものです。
境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されています。
また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されています。
主祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
叡智と武勇の神
配祀
高龗神(たかおかみのかみ)
祈雨・止雨
大國主命 (おおくにぬしのみこと)
商売繁盛・社運隆昌・事業発展・営業向上
倉稲魂命 (くらいなたまのみこと)
農業・商売繁盛・開運・文具・本
天兒家根命 (あめのこやねのみこと)
学業成就・試験合格
菅丞相(菅原道真) (かんのじょうしょう)
学業成就・試験合格
合祀
手力雄命 (たぢからおのみこと)
淀姫命 (よどひめのみこと)
大山咋命 (おおやまくいのみこと)
末社 厳島神
ホームページには授与品、お守りなども紹介されておりそれなりの規模の神社様であると推察いたしました。
しかし、残る1か所。板橋方面、蓮沼周辺です。googleMapでポイント周辺の神社様を検索しました。それなりの軒数の神社様が出てきました。しかし、口コミ情報が少ない神社様ばかりです。縁起物を授与いただけそうな神社様がないようです。これは困った。もっとエリアを広げて神社様を探そうか?
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