五芒星巡り

五芒星 皆さんご存じと思いますがウイキペディアには以下の記述がありました。

五芒星(ごぼうせい)とは、五光星、五稜星あるいは五角星(英: five-pointed star)と呼ばれる5つの角を持つ星マークのうち、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形である。五線星、星型五角形(星型正五角形)ともいう。

5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ、守護に用いることもあれば、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。

古代西洋

歴史的に確認されているもっとも古い五芒星の用法は、紀元前3000年頃のメソポタミアの書物である。シュメール人はこれをUB(ウブ)と呼んだ。さらに下向き五芒星を「角・小さな空間・穴」などの意味を表す絵文字とする。エジプトでは子宮を表させていたことから性的意味合いがあるとも言われている。バビロニアでは、図形の各側面に前後左右と上の各方向を割り当て、それぞれ木星・水星・火星・土星、そして上に地母神イシュタルの現れとされた金星を対応させた。五芒星に五惑星を対応させる考え方は、後のヨーロッパにも見受けられる。

また、火・水・風・土の四大元素に霊を加えた5つのエレメントにもそれぞれの頂点が対応させられ、それは現在でも魔法などのシンボリズムに使われている。

陰陽道と安倍晴明の桔梗印

五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられている。印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。

日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言う。家紋として現在使用されているものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、現在も晴明神社の神紋などに見ることができる(セーマンドーマンも参照)。大東流合気柔術「武田惣角一代記」、武田が修行した修験道の九字護身法に、早九字の別法として呪文を唱えながら五芒星を指で描く。奥羽越列藩同盟の軍旗。明治時代、修験道の呪法、災厄除けの護符にも五芒星が描かれている。

旧日本陸軍

「陸軍服制」(明治33年勅令第364号)

明治の最初期から昭和の太平洋戦争直前まで、旧日本陸軍の将校准士官が正装・礼装時に着用する正衣(大礼服)の正帽の天井には、金線(銀線)で五芒星が刺繍されていた。また陸軍軍属においても、親任官以下全ての陸軍軍属が着用する軍属従軍服(軍属服)では、五芒星を模した臂章が制式(昭和18年制)であったほか、平服着用時に佩用するバッジ型(七宝製)の徽章でも五芒星が使われていた。その起源や意味についてははっきりしない。桜花の萼(がく)の形を模しているとも、弾除け(多魔除け)の意味をかついで採用されていたとも言われている。一説には西周が導入したとも言われる。(注:旧日本陸軍の多用した、中の五角形のない「星章」とは別。)

五芒星には不思議な力があるのだと思います。西洋で不思議な力を持つ印としての五芒星が平安時代の日本でも同じように認識されていたことが非常に興味深いです。

五芒星を描くように神社仏閣、パワースポットを巡る五芒星巡りにチャレンジしました。奥さんは喪が明けていないため今回、寺院限定で巡ってみました。(次回に続く)

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