数年前に高校時代の同窓会があった。懐かしい顔がいっぱい。高校を卒業してすでに30年以上。その当時の面影があるやつないやつ。見るも無残な昔のイケメンなどなど。当然、昔話が咲き乱れる。幼稚園から高校までずーと一緒の友人も参加していた。高校時代の話から中学校、小学校の時代まで遡った。その友人と小学生の高学年にスポーツ少年団のサッカーに参加していた。その友人はレギュラーのゴールキーパーをやっていた。その当時から背が高く運動神経抜群でした。小学校6年生で最後の試合の話。地元の強豪チームと接戦したが惜しくも0-1で敗退した。自分もその試合に途中出場し右のディフェンダーの位置で出場した。相手チームの守りは堅かったが、ようやくチャンス到来。自分も攻撃に参加のため敵陣へ入っていった。しかし、絶妙にパスをカットされ速攻をかけられてしまい失点。自分は戻り切れずに前線から相手のゴールシーンを眺めていた。という記憶があった。しかし、友人はゴールキーパーとしてフルでその試合に出場していた。彼の記憶では、自陣ゴール前で混戦状態となり相手がけったボールがわたしの足に当たりオウンゴールとなって失点したと記憶していた。その友人からその話を聞いて唖然とした。「俺にはそんな記憶はない。」その会場で小学生時代のそのシーンを覚えている者は誰もいない。何が本当なのか確かめるすべはない。結局、その話はうやむやで自分は思わぬ話でやや混乱した。どちらにせよ事実と記憶が異なることが起きていた。友人の記憶では味方にオウンゴールされたので自分の責任ではない。私の方もボールと離れた位置にいたため自分の責任は軽い。ということになるのであろう。自分の都合の良いように記憶の書き換えが起こったのだろう。
テレビの刑事ものとかサスペンスもので犯人の記憶の書き換えが起きて事件解決に手間取るといった話を見たことがある。あくまでもテレビの世界の話で現実にそのようなことが起きるとは全く思ってもいなかった。心理学でも自己防衛の本能により、危険回避のため記憶の書き換えが起きるとされているようだ。強い精神的なショックから自分を守るために記憶喪失や記憶の書き換えが起きることがあるようだ。
今回の件はそこまで精神的に強烈なショックとは思えないシーンである。確かに試合に負けたことはショックだった。そうすると強烈なショックと言えないことであっても記憶喪失や記憶の書き換えは度々 起きているということなのか?考えると怖くなってきた。自分のなかではいい思い出となってることが事実とは異なるということが日常的に起きているのかもしれない。
人の記憶はいい加減なもの。自分が意図せずに記憶の書き換え、記憶喪失、嘘の記憶の創造が起きることがあるようだ。内外を問わず多くの大学で記憶に関する研究がなされている。後退催眠で呼び起こされた記憶が虚偽のものであったり、実験で経験していないことを事実と認識してしまう虚偽記憶がつくられることが証明されたりしているようです。宇宙人に誘拐されたと証言する人は虚偽記憶の実例であるのかもしれません。
むかしむかし、幼稚園の通うう前に住んでいたアパート 2階建てで2階に住んでいました。階段を上ってすぐの部屋だったように思いまう。毎日のように兄と一緒に 近所のガキ大将たちと遊んだ楽しい思い出。これは事実なのかと疑ってしまう。しかし、真実などはどうでもよいのかもしれません。本人、自分自身にとって良い思い出はそれでいいのでしょう。楽しかった思い出は人を明るく元気にしてくれます。勇気と活力を与えてくれます。それでいいのです。それでいいのでしょう。
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