7月15日についてネット検索してみましたら「博多祇園山笠」が出てきました。昔、兄が福岡に単身赴任していたことがあり、その時の生活について聞いてみたことがありました。福岡の中心 博多で単身生活を送っていたようです。博多の人は情が厚く、食べ物もおいしくてとてもいい思い出がたくさんできた単身生活だったようです。博多祇園山笠にも参加させてもらったことがあるようです。地元の者ではないのでほんの一部のお役目しか携われなかったようですがとても楽しい思い出だそうです。そこで「博多祇園山笠」について調べてみました。ウイキペディアには以下の通りの記述があります。
博多祇園山笠(はかたぎおんやまか さ)は、博多の総鎮守として知られる櫛田神社(福岡市博多区)の奉納神事。毎年7月1日から15日にかけて開催される700年以上の伝統のある祭である。正式名は櫛田神社祇園例大祭。各地に伝わる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭の一つで、博多どんたくとともに博多を代表する祭りである。
福岡市博多区の博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)で7月に行われる。国の重要無形民俗文化財に指定されている[1]。山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に日本の音風景100選に選ばれた。また、2016年(平成28年)12月1日、博多祇園山笠を含めた日本全国33件の祭が、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。
なお地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちだが、山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。このため当事者として祭りに参加できるのは、原則として地域住民および地域出身者のみである。
参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマカサ」とも略称される。また、祭礼そのものを指す「山笠」と区別するため、神輿に相当する山笠を「山」「ヤマ」と称することがある。山笠を担いで市内を回ることを山笠を「舁く」(かく)と言い、担ぐ人のことを「舁き手」(かきて)と言う。
山笠期間中は行事参加者の間ではキュウリを食べることが御法度となる。一番根強い説としては「キュウリの切り口が櫛田神社の祇園宮の神紋と似ているから」というものがある。櫛田神社や京都・八坂神社など水天神系の神紋の図柄は木瓜(ボケ)の花である。また、「夏が旬のキュウリを断ってまで祭りに懸ける」という意気込みとの説もある。しかしながら「石城志」によれば”此祭りに胡瓜を食ふ事を禁ずべきのいわれなし”とある。
博多祇園山笠は女人禁制の祭りであり、旧来の流に於いては子供山笠も含めて舁き手は男性のみである。また女性は舁き手の詰め所に入れないしきたりとなっている。かつては舁き手の詰め所の入口に「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札が立てられる風習になっていた。この「不浄の者」は喪中の人と女性のことを指しているが、女性差別につながるとして2003年(平成15年)に立て札の設置は中止された。但し、代わりとして「関係者以外立入禁止」の掲示や仕切りは何らかの形でなされている。
また約350万人の集客数を誇り、これは日本最大である。
歴史
山笠の歴史
博多祇園山笠の起源については諸説あるが、鎌倉時代の1241年(仁治2年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師(円爾)が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説である。
安土桃山時代、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となったが、豊臣秀吉が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「流」(ながれ)としてグループ化し復興を行った(太閤町割)。この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥である。戦後の一時期、山笠を建てた流は13流に増えたこともあったが現在の「流」は恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の7流である(福神流は山笠を建てない)。なお「流」は複数の「町(町内会)」で構成され、各町が1年交代で流の運営を担っており、これを「当番町」と呼ぶ(東流のみ、当番町を持たず流全体で運営を行っている)。
かつては京都の祇園祭のように町ごとに飾山笠の華美を競いながら練り歩いていたが江戸時代の1687年(貞享4年)に土居流が東長寺で休憩中、石堂流(現在の恵比須流)に追い越される「事件」が起こる。このとき2つの流が抜きつ抜かれつのマッチレースを繰り広げ町人に受けたことから、担いで駆け回るスピードを競い合う「追山」が始まった。以来戦後の一時期を除き祭のクライマックスとしてこの「追山」が執り行われ、福岡市内のみならず近隣各地から多くの観衆を集めている。
1945年(昭和20年)は福岡大空襲の影響で中止となった。
戦後に入り1955年(昭和30年)に「博多祇園山笠振興会」が発足、当時より「博多部外」の新天町等でも飾山笠行事が行われ1962年(昭和37年)より「博多部外」である福岡市中心部に舁入れる集団山見せなどが行われるようになった。1970年(昭和45年)から子供(小学生)が小型の山笠を舁く「子供山笠」も始まった。
2020年(令和2年)は、新型コロナウイルス感染症の流行を受け、次年夏までの延期の形で戦後初の開催見送りとなった。翌2021年(令和3年)は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、舁き山の行事(追い山など)は前年と同様、次年夏までの延期の形で開催を見送る一方、飾り山の展示は、中洲流・千代流を除き7月1日から14日まで実施された。
2022年(令和4年)に行われた博多祇園山笠振興会の総会で、3年ぶりとなる舁き山の開催を決定した。
博多で単身赴任したことがあるひと数人に話を聞きましたが、全員が博多はいいところと言っていました。わたくしの場合、観光でも博多には行ったことがありません。一度は行ってみたい場所ですね。
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