5月8日

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1995年5月8日に歌手テレサテンさんが亡くなりました。突然の衝撃的ニュースが流れました。

彼女についてウイキペディアに以下の記述がありました。~1986年、改革開放路線を進める中華人民共和国においてテレサの歌が事実上解禁されたことで人気が再燃。コンサートのオファーも届くようになり、同時期に米タイム誌によって世界7大女性歌手の1人に選ばれた。1987年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動をほとんど休止するようになった。

1989年5月27日には、かねてから中華人民共和国内で起きていた民主化要求デモを支援する目的で行われた、香港ハッピーヴァレー競馬場での中華人民共和国の民主化支援コンサートに参加。約30万人の前で、平和を願う「我的家在山的那一邊」(私の家は山の向こう)を歌い、亡命した民主化活動家とも交流を持った。しかし彼女の願いはかなわず、北京で天安門事件が起きてしまった。1990年に予定されていた、彼女の夢であった両親の生まれた中国本土での初のコンサートも中止になった。当時、その心境を「夢は殺され 夢は見ることさえできなくなってしまった」と語っている。

1989年、失意の中アジアを離れて、フランスのパリに単身移り住む。中国への思いをさらに深めるようになり、1992年に中国で広く愛されている「夜来香(イェライシャン)」を新たにレコーディングする[1]。この頃、喘息を悪化させ、次第に体調を崩していく。1990年以降は表舞台からも距離を置き、日本を訪れることも稀になった。日本での最後のテレビ出演は、1994年11月に放送されたNHK『歌謡チャリティーコンサート』(仙台市にて公開録画)だった。

1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作を起こし死去した。部屋から出てきたテレサが倒れていたところをホテルの従業員が発見し、救急搬送されたが、普段は10分で着くところが道路事情の悪さで30分かかってしまい、搬送先のラム病院到着時には既に死亡していたという。42歳の若さだった。

テレサの遺体は、同月12日未明に同チェンマイ国際空港からタイ国際航空機(TG636便)で台北の中正(現・桃園)国際空港に搬送され、このとき、空港には200人を超える報道陣と、陸海空三軍の儀仗兵らが出迎えた。そしてこの日、テレサの葬儀を行うための台湾政府葬儀委員会が発足した。翌13日に中華テレビ局内に設置された霊堂に安置され、棺にはテレサの好んだ色である紫の布がかけられていた。そこにはテレサの肖像が掲げられ、堂内には彼女の歌声が途切れることなく流されていた。この礼拝所にはその日だけで2000人を超える人が足を運んだ。同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。遺体には実弟が持っていたチャイナドレスが着せられ、また、彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。

墓所は台北市の北東に位置する新北市金山区の金宝山にあり、小さな公園のように整備され、本名の一字を取って「筠園」と呼ばれている。墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶えず流されている。没後10年目に当たる2005年5月8日には、日本をはじめとするアジア各国からファン300人ほどが墓所に詰めかけ、追悼集会を開いて生前のテレサ・テンを偲んだ。台湾での彼女はあまりにも偉大なので、遺体は火葬されず、エンバーミングなどを施されて土葬された。没後50年は生前の姿であり続ける。なお、台湾でこのような形で眠っているのは、蔣介石、蔣経国、テレサ・テンの3人である。

1995年の春にレコーディングする予定で作られた新曲「泣かないで」は、テレサが亡くなった翌年に新人歌手が歌い、彼女を追悼した。のちに「忘れないで – time to say good-bye -」として、彼女の七回忌に当たる2001年に、アグネス・チャンと北原ミレイによって同時にレコーディングされ、追悼の意が表された。日本における発売元であるユニバーサルミュージックは、テレサの死後もCDやDVDを発表し、2008年5月時点で計200万枚を売り上げている。2009年8月、中華人民共和国政府系の総合インターネットサイト「中国網」が新中国建国60周年を前に行ったアンケート調査で、彼女は新中国で最も影響力のあった文化人に選出された。2013年5月、中国・北京でテレサ・テン生誕60周年記念コンサート「追夢」が行われ、中国や台湾から集まった人気歌手たちが彼女の歌を歌った。2015年5月23日「テレサ・テン(鄧麗君)メモリアルコンサート〜 没20年追悼チャリティ音楽会〜」が渋谷公会堂で行われた。3Dホログラム映像でテレサ・テンの中国語版「時の流れに身をまかせ」「月はわが心」の2曲が再現された。 同年9月15日に台湾の郵政当局が没20周年を記念とした切手冊子を発売。

いまだに亡くなったという感じがしないですね。不思議な感じがします。

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