千葉県佐倉市3

わたくし 生まれ育ちが関西であるため千葉県佐倉市についてはほとんど無知でした。今でも大した知識はありませんが、驚いたのは国立歴史博物館です。まずは、国立の博物館について調べてみました。

以下ウイキペディアから・・・・・独立行政法人国立博物館(どくりつぎょうせいほうじんこくりつはくぶつかん)は、かつて存在した文化庁所管の独立行政法人。

2001年4月に発足し、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館を運営していたが、2007年4月に、独立行政法人文化財研究所と統合し、独立行政法人国立文化財機構になった。なお、2006年4月には、役職員の地位が公務員型から非公務員型に移行した。

国立が冠されている博物館は他にも、国立科学博物館(独立行政法人国立科学博物館運営)や国立民族学博物館・国立歴史民俗博物館(大学共同利用機関法人人間文化研究機構運営)、東京国立近代美術館・京都国立近代美術館・国立国際美術館(独立行政法人国立美術館運営)、国立近現代建築資料館(文化庁所管)などがあるが、それぞれ別組織が運営している。国立博物館と国立科学博物館は、今後統合される可能性もとりざたされている。

さらに国立歴史民俗博物館について調べてみました。これもウイキペディアからです。

国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん、英称:National Museum of Japanese History、略称:れきはく、歴博)は千葉県佐倉市にある、日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。国立の研究機関かつ教育機関で、人間文化研究機構が運営する。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件。佐倉城趾の一角にあり、建築物は第24回BCS賞受賞。

設立については・・・

日本には明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(後の東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見は早くからあった。歴史学者の黒板勝美は既に昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後のことであった。

日本国政府は1966年(昭和41年)、「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定し、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討され始めた。1971年(昭和46年)には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ、1978年(昭和53年)には同じく文化庁内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化した。同準備室の室長は歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞であった。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上光貞の発想によるところが大きい。建設地は、江戸時代には佐倉藩の藩庁が置かれており、明治時代には陸軍佐倉連隊の施設が置かれていた歴史ある地として佐倉城址の一角に決定し、敷地一帯の発掘調査と整備が行われた。

国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年(昭和56年)に発足し、井上光貞が初代館長となった。ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年(昭和58年)3月のことである。初代館長であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上光貞は一般公開開始直前の同年2月に急逝し、東京大学文学部教授の土田直鎮が2代館長となる。

2004年(平成16年)4月1日の国立大学の法人化と同様に国文学研究資料館、国際日本文化研究センター、総合地球環境学研究所、国立民族学博物館等と連携して大学共同利用機関法人人間文化研究機構を創設。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。

しかし、国立の博物館がなぜ佐倉市に建てられたのか不思議です。設立時に何か政治的な計らい,忖度があったように感じます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました