This world seems to be a place of training …
人生にはつらいことがたくさんあります。なんでこんな経験しなくてはならないのか?また、ある時はあの人は不幸でかわいそう。なんて悲惨な人生なんだ・・・と思うことがあります。誰でもそのよに思った経験はあるのではないでしょうか?
先日ある方とお話をする機会がありました。その方は様々な宗教に精通し特に仏教に深い造詣を持っています。人は必ず死にます。死んだあとはどうなるのか?転生輪廻を繰り返すと言ってました。なぜ繰り返すのか?それは体験、経験する機会を多く持つため。人はこの世で生を受けている期間はさほど長くない。肉体を離れた状態のほうが長い時間 過ごすこととなるようです。この世で死を迎えてもその次の世界がある。そう考えるとこの世の苦しみも「今だけの辛抱」と捉えることができる。気持ちが楽になります。人はそれぞれ課題をもって生を受ける。この世で解決すべき課題に取り組む。それが解決できればステージが上がる。それを何度も何度も繰り返しステージをあげてゆく。どんどんステージをあげて神、創造主に近い存在となって行く。ステージをあげるためには課題の解決、善行をより多く行うこと。
このような思想を持つと今の苦しい状況も我慢すること。また、そのような厳しい環境下でも善行を積極的に行うということができるようになる。思想としては大変すばらしいものと思えます。しかし、宗教にうさん臭さも付きまといます。人の命の大切さを説きながらも宗教、思想の違いが争いの火種となった歴史がどこの国にもあります。人が集まれば「力」となります。力は労働力、財力とも言えます。それは権力につながる。権力は人の心を蝕むことがあります。人は「欲」を拡大させます。欲望、エゴが増大し自分の正義を貫く思想、行動が生まれてゆきます。自分の正義に背く相反する思想、行動とは衝突します。そこに争いが生まれてしまいます。又、多くの人が集まればそれぞれの思想も人により異なります。その大勢をまとめ上げるためには、同じ敵を作り、その敵を打ち倒すという共通目標を作ることが単純で分かりやすく、最も効果的を思います。日本も過去の大戦で、時の為政者が国民を戦争モードにシフトさせました。限られた情報しか入らない昔の日本では簡単にプロパガンダを行うことができました。
今、ロシアとウクライナは戦争という誰もが望まない状況に突入しています。これも修行なのでしょうか?確かに修行とも言えます。平和な状況とそうではない状況を知ることで、それぞれの状況をより深く理解することができると思います。しかし、誰も望んで平和ではない状況を作りたいとは思わないです。人は平和で心休まる状況を望むはずです。
天災も修行の場なのでしょうか?確かにそう考えると辛い状況も少しは我慢できると思います。しかし、終わりが見えないと心が折れてしまうのではないかと思います。あと3日我慢してください。とか期限が明確になっていれば「それまではがんばろう。」と思える。しかし、戦争も天災も多くの人々を傷つけ、心に傷をつけます。そのような人をどう救えばよいのか?大きな疑問でもあります。被害の当事者の幸せはどのようにもたらすことができるのか?まわりにいる人には何ができるのか。それは結局その人がどう思い、考えるかによるのだと思います。東京パラリンピックが昨年開催されました。障害者に対してかわいそうと考える人がいます。しかし、本人はかわいそうな人間とは思っていないことが多々ある事を知りましした。もともと生まれつき障害を持った人にとっては、その障害が有ることが当たりまえと思っています。決してかわいそうな存在ではないのです。もともと健常者であった方が障害者となったインタビューを見ました。障害者となった時にはあれもできないこれもできないとできないことに意識がいっていた。しかし、周りのひとのあたたかいサポートを受けながらこれもできるあれもできるとできるものに意識がいくようになり、さらに今度はあれもしたいとチャレンジ目標に意識がいくように変化したそうです。すべて自分がどう思い、考え、行動するかということなのでしょう。
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