津田梅子はすごい

テレビで『津田梅子 お札になった留学生』を見ました。津田梅子さんについては、日本史の歴史で出ていた人。明治時代に女性教育に尽力した方との認識程度しかありません。江戸時代から明治時代と日本は大きな変化の真っ只中。当時、多くの若者が留学しました。日本に新しい文化、制度を取り入れるためです。女性の教育も必要とのことで若い女性を留学させることとなった。たった5名の留学生。うち2名は1年で帰国しました。津田梅子さんは最年少6歳で参加した留学生でした。それから11年間アメリカで学んだのです。今の日本であっても女性への偏見や差別は存在します。江戸時代から明治時代になったばかりの日本では今から想像できないような偏見や差別が存在したことはたやすく想像できます。逆にその時代に女性教育のためにアメリカへ留学させたことが驚きです。女性の地位が低く、教育が不十分、働く女性がほとんどいない当時の日本社会でいきなり数名の女性を留学させたところでどうしようもないとしか思えません。しかし、一部の権力者の考えが、その時代を動かしていたことが分かります。

津田梅子さん、山川捨松、永井しげの3名は帰国して波乱万丈の人生を送ります。山川捨松さんはのちに参議陸卿の大山巌と結婚します。捨松さんは会津の出身、大山卿は薩摩の出身。いまだに会津の人と薩摩の人は仲が悪いと言われますが、その当時では考えられない結婚だったはずです。捨松さんは日本の医療、看護、慈善事業の礎を築きます。また、永井しげさんはピアノが上手だったようです。日本の音楽教育、女性教育、英語教育に尽力されたようです。3名とも結局は日本の女性教育、英語教育に大きな影響を与えたのです。

津田梅子さんの日本の英語教育に大きな影響を与えました。その当時、留学を終えて帰国した男性は引っ張りだこで英語教師に就くことができたようです。しかし、女性差別の激しい当時、男性教師の職があっても、女性教師の職はなかったようです。信じられないです。津田梅子さんは2回目の留学へも行ったそうです。大変勉強好きなのがよくわかります。2回目の留学ではアメリカの大学で生物学を3年間学んだそうです。当時のですから留学することも大変、大学で勉強することも相当大変だったと思います。様々なハードルを自ら築いた人脈などでクリアーしていった行動力は本当にすごい人だと思います。もし津田梅子さんが現代の日本にいたら何をしたのだろうと思います。

先日、日本の女性の地位が低いということを話していました。女性国会議員は1割程度しかいません。先進国と言われる国では最低です。ざっくり日本人の半分は女性です。国の大切な事を決める国会の議員数は半分が女性でないとおかしいです。一般企業の女性の社長、役員、管理職などの比率も最低ランクです。いまだに日本は男性社会なのです。これはわたくしの個人的な見解です。男性の偏見や嫉妬がいまの日本社会を作ってしまった。潜在的に女性のすごさを知っています。しかし、女性のすごさを認めてしまうと自分の存在意義が薄れてしまう。自分の地位を奪われる。そんな恐怖から社会の中枢から女性を遠ざけてしまっている。男にしかできないと思わせる工夫を大昔から続けている。なんとばかばかしい話なのか。性別は関係なくできる人はできるし、できない人はできない。それが本質的な考え方だと思う。できな男性よりもできる女性がよい。できない女性よりもできる男性がよい。様々な仕事、役目は能力次第で決める方が分かりやすく合理的です。

有能や女性が思い通りの仕事を選択できる仕組み作りが必要です。俺は男だから、こんなことはできないなどといまだに言っている中年男はいらないです。時代を切り開いた津田梅子さんがお札になるのも納得できます。

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