今日は朝から歯医者で治療。午後から仕事のスケジュールとなっていました。治療はさほど時間がかからず出勤時間まで少し時間が空いてしまいました。「どうしようかな?」ふと神社様へご参拝することが頭に浮かびました。大好きな神田明神様へ行くことにしました。JR総武各駅でお茶の水駅まで行きました。そこから徒歩で神田明神様へ・・・天気も良く鳥居方向へ歩く人が結構いました。鳥居をくぐり随神門の前にタクシーが3台ほど停車していました。タクシーでご参拝とは言いご身分等と思いながら手水舎で手を洗い境内に入りました。本殿には数名の方がご参拝のために並んでいました。ほどなく私の順番になりました。いつもご加護を頂戴し誠にありがとうございます。日頃の御礼を申し伝えました。神田明神様には平将門様が祀られております。将門様の強いお力を感じてみたいと思って境内をうろついています。とある方によると神様、見えない高次の存在とコンタクトをとることは誰でも可能だそうです。しかし、そのためにはトレーニングが必要だそうです。氣の良い場所に行きつながる事を念じる事を繰り返すことがそのトレーニングになるのだと思っております。わたくしの場合、まだまだトレーニングが必要なようです。
神田明神様の境内はとても気持ちいい場所です。本殿、随神門、そのほかの建造物は立派。そして文化交流館は境内の景観を損なわないように配慮されていて落ち着く空間です。
境内にはいくつかの摂社があります。それぞれの摂社も立派です。東京感動線というHPがありました。そこに神田明神様の記載があります。
境内は聖俗の間にある場所 人とともに神社も変わる
「徳川家康が戦勝を祈願したことから、江戸全体を守護する「江戸総鎮守」となった神田明神。
神社がもつべき本来の機能を、いまももち続けることに留意している。
「神社は古くから大衆が集まる文化の発展地でしたので、もとより神社を信仰だけで切り取ることはできません。民俗学には神聖なものと世俗を分ける『聖俗』という考え方があり、境内はまさに聖と俗の中間。移りゆく文化を細かくすくい上げていくことが、神社にはとても必要です」
と語るのは、観禰宜を務める岸川雅範さん。
毎年、多くの人で賑わう「神田祭」も時の流れの中で変容してきた。
江戸時代には豪華な山車が巡行したが、いまでは担ぎ手の威勢のよい掛け声が下町に響き渡る、神輿の宮入りがメイン。
「原始的な祭りは、神の力がたたりに転じないよう願うもの。でも当時と現代では、当然ながら願いごとも変わってきています。時代に合わせ、個人情報漏えいを防ぐためにと『ITお守り』もつくっています」そのほかプロレスを境内で開催したり、地域性もふまえアニメーションとのコラボグッズも販売。いずれのケースもその時々の聖俗の合間であり続けようと、常に顧みる姿勢が表れているといえる。
「時代の変化を受け入れ、ともに歩む。変わらぬものを守ろうとするばかりでは、世俗と離れてしまい、伝統を継承しつづけられませんから」。
神田明神の看板娘として活躍する「明ちゃん」
御神馬(ごしんめ)とは、神様の乗り物として神社に奉納された馬のこと。
いまや神社で見かけることは珍しくなった御神馬が、神田明神に存在する。
境内を見わたすと社殿前のパドックに、素朴でかわいらしい芦毛のポニーが。
神田祭で神輿を先導するなどの活躍をするこの御神馬は、参拝客から親しみを込めて「明(あかり)ちゃん」と呼ばれている。取材中にはボランティアの方に連れられ、ゆったりと散歩に出かけていった。「御神馬は人間のように、時間に左右されない存在です。そのせいか、子どもはもちろんですが、大人からの人気もあります」と権禰宜の岸川さんは話す。」
神田明神様の御参拝を終えて神保町の駅まで歩くことにしました。
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