地元の神社様の例祭がありました。自宅から最も近い神社様、氏神様ですので暇があると日頃よりご参拝させていただいております。数週間前から掲示板に「例祭」のご案内が掲示されておりました。「例祭」が何をするのかわかりませんでしたが、行ってきました。神社様の鳥居の前で自転車に乗っていた高齢の女性が自転車を止め神社様の中を覗き込んでいる姿が見えました。「何ややっているな。」とわかりました。鳥居の前であいさつし境内の中へ入りました。町内会の役員らしき方々が10名ほど境内にいらっしゃいました。また、普段は扉が閉まっている各町の神輿倉庫が開扉されていました。この界隈は大きな会社があるわけでもなく住民が多いわけではありません。どちらかというとこじんまりした町です。しかし、中におさめられている神輿は立派でした。3つの倉庫が並んでありますが3つの神輿とも立派でした。それに結構新しいように思えました。それぞれの倉庫にはお供えもののお酒などが並んでいました。神主様が祝詞を上げていました。また、本殿拝殿の扉もあけられていてご神体を直接拝見できました。摂社の稲荷大明神様も扉が開けられていていつもとは距離が近いと感じる事ができてよかったです。
社務所には長机と椅子が数客並んでいました。例祭の儀式が終わったらそこでいっぱいやる感じでした。例祭について調べてみました。ウイキペディアには以下の記述がありました。
例祭(れいさい)とは、神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされるもののことである。
例祭は年一回、多くは祭神や神社に特別の由緒のある日に行われる。例えば人物神を祀る神社ではその人物の誕生日や命日に例祭を行うことが多い。特に由緒のある日のない場合は、春祭りや秋祭りをもって例祭としている。例祭が行われる日は毎年一定で、みだりに変えることはできないものとされる。第二次世界大戦以降も、神社本庁被包括の神社については、例祭日を変更する場合は神社本庁の承認を受ける必要がある。
歴史
例祭という名称が使われ出したのは近世のことで、それ以前には大祭(おおまつり)、御祭(おんまつり)などと呼んだり、社名に祭をつけて春日祭、石清水祭などと呼んだりしていた。今でもこの呼称は神宮暦の内「小暦」に記されている。近世には、各地の名所図会などに「○○神社例祭○月○日」と記載されているのが見られ、その神社を代表する重要な祭を例祭と呼ぶことが定着していたことがわかる。
明治の神社制度においては、例祭は祈年祭・新嘗祭などとともに「大祭(たいさい)」に定められ、官国幣社・府県社・郷社および一部の村社(神饌幣帛料供進指定神社)には勅使あるいは幣帛供進使が参向して国・皇室から神饌幣帛料が供進された。
第二次世界大戦以降は、国からの幣帛供進制度は廃止されたが、勅祭社については例祭に際し勅使が参向する。それ以外の神社では、公的な幣帛供進制度に代わって神社本庁から「本庁幣」として献幣が行われている(ただし神社本庁被包括の神社に限る)。
名称
例祭は祭祀の分類の中で大祭(たいさい)に分類されることから、例祭のことを例大祭(れいたいさい)または大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と呼ぶことがある。ただし、これは一般的には氏子中や町中での俗称であり、神社側の正式なものではないことが多い。神社の案内等に「○○神社例大祭」とある場合もあるが、これはあくまでも例祭として行われる祭の俗称である。決められた期間に行う式年祭と区別するために、毎年行うものを例大祭と称する地域もある。
その他、橿原神宮の例祭は「紀元祭」、石清水八幡宮の例祭は「石清水祭」といった具合で神社固有の名称を用いる場合もある。本来の例祭以外の祭祀についても、祭の名称に例祭を含んでいる場合(例えば、春季例祭と秋季例祭、摂末社例祭など)があるが、一つの神社について例祭は一つだけである。
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