この世界はだれがつくたの

鏡に白髪混じりのおじさんが映っています。目の下は少し腫れて疲れた様子です。目はくすんで元気がない感じです。これは今朝 鏡に映った自分の姿でした。とても残念な感じでした。昔は違っていた。白髪なんてありません。目の輝きも違います。もっと力のある感じでした。出勤前に身だしなみのチェックを鏡の前にしていました。「今日も大丈夫。」よし行くぞと気合を入れて出かけていました。そういえば最近はあまり鏡を見なくなった。依然勤めていた会社はほぼ毎日スーツでした。前職は作業着。いまも作業着ではないもののラフな格好で仕事をしています。服装からくる気持ちの変化なのか?そうではないと思いました。モチベーションの違いであることに気づきました。

スーツ時代の私はモチベーションが高かったのだと気づきました。それなりの役職でもありました。直属の部下もいました。大学を卒業してずっとその会社に勤めていました。会社もそれなりに評価してもらいました。そのため管理職でもありました。管理職の権限は結構あり、自分の裁量でできる仕事がありました。自由度が高かったこともモチベーションが高かったことの要因と思います。少しの悩みとしては自分の先輩が部下になってしまうことでした。自分が入社した時の同じ部署の先輩3人が部下になりました。先輩たちの言い分も聞きながらこちらの方針へ誘導することが大変でした。こちらの方針に従ってもらうために工夫したこともありました。結果的には同じことを伝えるにしても伝え方を間違うとそっぽを向かれかねないことでした。先輩達の存在を重んじつつまたこちらからお願いするという感じで話をしました。取り組み内容への理解をしていただき、それを実施する了解をいかに得るか?また、どの先輩から話をするかも気を使いました。ときにはなんでこんなこと自分がしなくてはならないのか?と疑念のスパイラルに陥ることもありました。

なんで自分だけがこんな苦労しなくてはと思ったことは結構ありました。大学時代に入っていたサークルで庶務の仕事を任されました。練習場所の確保、合宿の計画、宿の手配、バスの手配、学際の出し物を決めたり諸々 めんどくさい。面倒なことはやりたくない人でした。親と一緒に暮らしていた時は面倒なことはいつも母親がやってくれていました。自分でできるようなことも母にお願いしました。母はわたしには甘かったです。お小遣いがなくなるとすぐに母にせびりました。母は一言二言文句を言いますが、結果的にはお小遣いをくれました。昔の自分は結構なダメ人間でした。

それが結婚を機にいろいろ変わりました。当時の嫁は大変気が付く人でした。また、わたしが気づかないことをどんどん指摘しました。嫁にいろいろ言われることは大変いやでした。嫌なことを言われないように気を付けることが日常となりました。また、嫁は面倒なことが嫌い。というか他人にやらせることが多かったです。自分でできる事も人に振るのです。昔のわたしです。ある種の修行のような生活でした。嫁の機嫌を損ねないように変な気遣いをしだしました。自分の考えは出さない。嫁ファーストに対応でした。いろいろな気遣いが仕事に役立ちました。社内や社外でも気遣いで仕事をやりやすくできました。でもなんで自分がこんな事やらないといけないのか?逆にあいつは何にもしないのはなぜ?と不満に感じることも少なからずありました。まだまだこのような考えに縛られることがあります。

転職しても「なんで自分だけこんな思いをしなくてはならないのか?人生は不平等だ?」と思うことが多々ありました。しかし、この世界を作っているのはわたくし自身なのです。日々いろいろなことが起きます。それをどう感じるのかは自分です。それにどう対応するかは自分で判断し行動に移します。その結果でまた自分は感じます。満足した結果なのか?不満があるのか?また、さらに追加の対応をするのか?などなど自分が感じて自分が動き、自分で判断、選択して自分の人生を創り上げているのでした。すべては自分なのです。よく人の責任に転嫁する人がいます。そのような人は自分がこの世界を創り上げている自覚がないのだと思います。清く正しく美しく人生を全うしたいと考えるわたくしです。

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