五芒星巡り 神社編1

今日、東京都内で五芒星巡りを実行しました。奥さんが企画立案し段取りをしてくれました。奥さんと私と縁の深い「神田明神様」を起点に五角形になるように神社を探しで五芒星となるようにご参拝する神社を決めました。最初に神田明神様、次に赤坂氷川神社様、人形町の末廣神社様、市ヶ谷亀岡八幡神社様、築地の波除神社様とご参拝してまいりました。今日は一部地方では大雨に見舞われた悪天候でしたが、五芒星巡りをしましたところでは全く雨の影響はありませんでした。むしろ好天で熱中症の心配をしました。

神田明神様は平将門公をお祀りする江戸総鎮守です。将門様に縁を感じ先日 将門様が生きた時代を知りたいと思い2冊の本を読みました。一冊は吉川英治先生の「平の将門」もう一冊は童門冬二先生の「小説 平将門」です。将門様が生きた時代は今から1100年程の昔のです。残された文献もわずかです。何が真実かはわかりりません。しかし、そのわずかに残された文献から吉川先生、童門先生 その他にも将門様についてお書きになられた先生は多数いらっしゃいます。将門様の魅力に筆を取りたくなった先生がたくさんいらっしゃったのです。書きたくなる御仁だったのです。個々からは全くにわたくし想像です。将門様はとてもおおらかな御仁であったことは間違いないと思います。当時の都人、もしくは都人にあこがれて地方から入京した者たちはとてもまじめでルール順守をしたのではないかと思います。一方、将門様は臨機応変、ケースバイケース、その都度その都度最善の判断をしていた。そのため現場の解決を優先し、決まったルールを逸脱することもあったように思います。将門様は身内に甘いというか身内を守るために全力を尽くすタイプ。ときに冷静さを欠き、冷静な判断ができなかった事が少なからずあったはずです。もし、将門様が吉川先生や童門先生が書かれた弟将頼のような性格であったなら時代は変わっていたのではないかと思います。都に出て藤原忠平公に仕えたらかなりの出世をしていたと思います。父 良持が亡くなり自領が親族に奪われるような事態になったとしてももっとうまく立ち回ることができたのではないかと思います。

五芒星巡りのスタートは神田明神様。今日も朝から多くの参拝者がいらっしゃいました。晴れた天気の神田明神様はとても気持ちのいい場所です。本殿でいつもの御礼と五芒星巡りをすることをお伝えいたしました。

神田明神様のホームページから

神田明神は、天平2年(730)の創建といわれ「江戸の総鎮守」と称えられてきた古社です。その歴史は、地震や噴火といった自然災害、さらに飢饉や疫病、また火事や戦乱といった幾多の災禍を乗り越えて築かれてきました。
人々は祈りを尽くしながら災禍に耐えて、神社の歴史と文化を守り継いできました。

 いま神田明神は創建から1300年目を迎える令和12年(2030)をゴールに定めて「文化の鼓動を生む」を合言葉にして「創建1300年記念事業」を展開しています。
同事業は歴史の原点回帰として、創建の地である大手町の将門塚の改修工事を図りました。

 また現在、「100年後には緑豊かな鎮守の杜」となるよう境内の将来構想を策定しています。さらに昭和9年にSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)建築として竣功した現社殿は、300年以上の耐久性がある文化財であることを実証して、SRC建築に長寿命で持続可能な新しい価値を与えたいと考えています。

 創建1300年記念事業は、国連サミットで採択されたSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)のゴールとも軌を一にして、持続可能な社会と神社の未来像を創造したいと思います。
変化の激しい時代だからこそ、神田明神は未来永劫に人々の心のよりどころとして、新しい時代に向けて「文化の鼓動を生む」祈りと祭りと緑の場となるべく整備事業を進めて参ります。
どうか今後共、ご理解とお力添えを賜りますよう心からお願いを申し上げます。

令和3年5月

神田神社宮司 清水 祥彦

清水宮司様の御挨拶を掲載いたします。

五芒星巡りがスタートしました。

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