冬のオリンピック 思い出

冬季 北京オリンピックが開幕しました。日本人選手 皆さん頑張ってください。冬のオリンピックの思い出。小学2年生の時に、サッポロオリンピックが開催されました。トワエモアの歌がテレビから何度の何度の流れていたことを覚えています。フィギュアスケートのジャネットリンが尻もちをついても銅メダルだったことも覚えています。とてもチャーミングな氷の妖精。小学生だった私もその華麗さかわいさはとても印象的でした。特に笑顔がチャーミングでした。日本選手ではなんといっても笠谷選手です。スキージャンプの絶対的なエース。見事なジャンプで金メダルを獲得しました。笠谷選手が金メダル、金野選手が銀メダル、青地選手が銅メダル。表彰台を日本選手が独占したシーンは、感動という言葉しかありませんでした。当時の日本のウインタースポーツでは世界レベルには届いていない感じでした。スピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケー、ボブスレー、アルペンスキーなどなど表彰台は、はるかかなたの存在でした。唯一といっていいほどスキージャンプは日本は強かったです。笠谷選手は断トツで絶対的な強さを誇っていました。お家芸と言っていた時代でした。

冬の土曜日、日曜日の昼から夕方にかけてスキージャンプの大会中継が放送されていました。テレビっ子のわたしは結構、この番組を見ていました。笠谷選手は飛べば優勝といった感じの絶対的な存在だったと覚えています。その時期、国内リーグのアイスホッケーの中継も結構ありました。国土計画、古河電工、王子製紙等のチームがあったと思います。とでもハードな激突。ブラウン管越しに見ていても激しい当たりはとても興奮するスポーツだと思いました。

小学2年生の担任の先生は沢野先生というおじいさん先生でした。白髪と細身の体、黒縁眼鏡が印象的でした。先生は私たち生徒に、毎日のようにクロッキーを書かせました。スケッチブックに自由な課題で書きました。先生は消しゴムは使ってはいけない。書いた線はすべて残すように指導されました。サッポロオリンピックは絶好のモチーフとなりました。私は葛西選手のジャンプをモチーフとしました。しかし、テレビの画面を見ながら描くことは自分には難しかったです。結局、翌日の朝刊一面の写真を見ながら書いてしまいました。沢野先生は自分の目でみたありのままの様子を描くようにと指導されました。新聞の写真を描いた自分の作品は、先生の教えからは外れた作品となってしまいました。後日、先生に作品を見てもらった時に「自分の頭の中に浮かんだものを描けばいいのだ。」とおっしゃりました。

今の今まで沢野先生のことは、忘れていました。このブログを書こうとオリンピックから連想されることと思いを巡らせて、なんとなく先生の事を思い出しました。先生からはいろいろ絵画や民芸玩具の事を教えていただきました。一度、先生のご自宅に生徒たちと保護者数名で訪問しました。たしか、神戸の須磨の方にご自宅があったと記憶しています。書斎に民芸玩具がたくさんあり、それで遊んだ記憶があります。むかしむかし もう50年ぐらい前の話です。一つの事からどんどんつながった記憶が芋づるのように出てきます。不思議で面白いです。

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