平井 諏訪神社

家からJR総武線 平井駅方面に歩いていると「諏訪神社」ののぼりが商店街に立っていました。秋祭りの時期です。例祭日が近づいているためのぼりを上げています。平井 諏訪神社はJR平井駅の北側にあり歩いて数分で到着できます。こじんまりとした神社です。東京都神社庁には以下の通り紹介されています。

御祭神
【主祭神】
建御名方神(たけみなかたのかみ)
【合祀祭神】
春日明神(かすがみょうじん)
【末 社】
浅間神社(せんげんじんじゃ) 水神社(すいじんじゃ)
八幡神社(はちまんじんじゃ) 小御嶽神社(こみたけじんじゃ)
稲荷神社(いなりじんじゃ)
御由緒
 諏訪神社の御祭神は 大国主神の御子建御名方神が奉斎されている 信濃国の一ノ宮諏訪大社の分社である。
享保年間平井聖天灯明寺の恵祐法印が生国信州の諏訪大明神の神霊を当所に社殿を建立祭祀したるを以て当社の創建とする。その後天保14年11月本殿を改築、頭梁は越後国蒲原郡田島村出身の山際万吉藤原鎮路でこの社殿は昭和42年の改築により境内北隅へ移築し、末社稲荷神社(白崎稲荷、伝十郎稲荷)として祭祀されているが、江戸末期の堂宇建築技術が見られる。
当社は明治5年11月社格を村社に列せられ、公費供進指定神社であったが、昭和21年以降この制度は廃止されている。本殿には、当社創建以前より下平井村の氏神であったと云われる平井3丁目鎮座の四所神社(春日明神)を昭和8年に合祀し、現在も毎年その例祭日である1月11日に四所神社祭が執行されている。
昭和42年9月明治100年を記念し、諏訪神社造営奉賛会を結成し、社殿、神楽殿、神輿庫の新築を氏子の浄財寄進を以て着手することになった。翌昭和43年10月27日遷座祭、44年8月9日工事全般終了により落成式を斎行した。社殿の規模では、江戸川区一と評されている。
さらには、平成21年に前倒しであるが、平井諏訪大社創建300年として、社殿内の神具等の新調、神輿庫の新築及び落成式典、大祭を300年祭として勇壮な神輿渡御に合わせて平井駅前での大学吹奏楽部のパレード等を実施した。この模様は、江戸川FMによりライブ中継された。
  • 例祭日
  • 9月17日を中心として実施
  • 所在地
  • 〒132-0035 東京都江戸川区平井6-17-36

猫のしっぽには以下の記述があります。(記載のページ:平井諏訪神社|江戸川区平井の神社、下平井村鎮守 (tesshow.jp)

平井諏訪神社は、江戸川区平井にある諏訪神社です。平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

江戸川区教育委員会掲示による平井諏訪神社の由緒

祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による平井諏訪神社の由緒

諏訪神社(平井六丁目一七番三六号)
祭神は建御名方命で信濃国一ノ宮諏訪大社の分社である。創建年月は明かでないが享保年間に燈明寺の恵祐法印が生国である信州の諏訪大明神の神霊を当所に祀ったのが始めであるという。その後天保十四年十一月本殿を改築したが、この建物にはすぐれた彫刻があり現在は境内の北隅にある稲荷神社の社殿になっている。明治五年村社に列し、下平井村の四所神社(春日明神)を合祀した。壮麗な今の社殿は昭和四十四年八月に落成した。境内に富士塚があり、乃木希典揮毫の明治三十七八年戦役記念碑がある。(「江戸川区史」より)

地元の方に愛されている神社です。

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