1859年11月24日 – チャールズ・ダーウィンがイギリスで『種の起源』を出版。
種の起源についてウイキペディアには以下の記述があります。
『種の起源』(しゅのきげん、英: “On the Origin of Species“)は、イギリスの地質学者で生物学者のチャールズ・ダーウィンによって1859年11月24日に出版された進化論についての書籍である。
題名は岩波文庫版のように『種の起原』と表記する場合と、光文社古典新訳文庫版のように『種の起源』と表記する場合がある。
解説
ダーウィンは、『種の起源』の中で、evolution(進化)ではなく、descent with modification (変化を伴った由来)という用語を使っている。進化という意味で evolution を用いたのはハーバート・スペンサーであり、ダーウィンも第6版で用いている。
彼は自然選択によって、生物は常に環境に適応するように変化し、種が分岐して多様な種が生じると主張した。そしてこの過程を生存競争、適者生存(第5版以降)などのフレーズを用いて説明した。
自然選択とは、「(1)生物がもつ性質は個体間に違いがあり、(2)その一部は親から子に伝えられ、(3)環境収容力が繁殖力よりも小さいため生まれた子の一部しか生存・繁殖できない。性質の違いに応じて次世代に子を残す平均的能力に差が生じるので、有利な個体が持つ性質が維持・拡散するというメカニズム」である。
彼は全ての生物は一種あるいはほんの数種の祖先的な生物から分岐して誕生したのだと述べたが、実際にはタイトルに反して、どのように個々の種が誕生するか(種分化)はほとんど説明しなかった。生物の地理的分布や性淘汰についてもわずかに言及している。当時は DNA や遺伝の仕組みについては知られていなかったので、変異や遺伝の仕組みについてはうまく説明できなかった。また進化を進歩とは違うものだと認識し、特定の方向性がない偶然の変異による機械論的なものだとした。ダーウィンは進化の概念を多くの観察例や実験による傍証などの実証的成果によって、進化論を仮説の段階から理論にまで高めたのである。
本書は非専門家向けに読みやすく書かれており、幅広い関心を集めた。当時の生物学の根本をなす宗教的信念を否定したために、科学的だけでなく、宗教的、哲学的論争も引き起こした。ダーウィンの貢献以来、中立進化説の確立など進化理論は急速に発展した。しかし自然選択説は適応進化の要因として現在も科学的に認められたモデルである。一方、現在でも進化論を否定する創造科学やインテリジェント・デザインなどの説が反進化論団体によって主張されている。
なお、ダーウィンの言葉として「最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。 唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。」という言葉が紹介されることがあるが、ダーウィン自身の発言や『種の起源』に該当する言葉はなく、経営学者メギンソンの解釈が流布したものである。
書誌情報
本書の完全な題名は『自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利なレースの存続することによる、種の起原』“On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life”である。なおここで races とは種族の意味である。
改版は、第2版(1860年1月7日)以降、13年間に渡り加筆・修正を加えて、1872年の第6版まで継続された。特に、第6版では、「自然選択説にむけられた種々の異論」の章を新たに追加し、それまでに寄せられた異論について回答を述べている(挿入場所は、第5版の第7章「本能」の前。したがって、旧7章以降の章は、第6版では1つずつ番号が繰り下がる)。また、第6版では、タイトルの先頭の “On” が取り除かれた。なお、第6版についても修正が続けられ、ダーウィンによる最終的な編集は1876年であったという。版を重ねるにつれて批判に応じて自然選択以外の要因も認めるようになっていった。
自然選択説につながる記録や考察は、ビーグル号の航海中(1831年-1836年)およびその直後から続けられていた。本書につながる直接的な源流は、航海から6年後の1842年6月にノート35枚に纏められた「スケッチ」(小論文のこと)、および1844年6-7月に231ページに纏めた「エッセー」であった。これらは、ダーウィン自身で保管しており、執筆当時は公表されていなかった。1856年から、ダーウィンは『種の起源』に関する本の執筆を始めたが、1858年にウォレスからの手紙によって、その本の執筆を中断することになった。その中断された著作の要約版(抄本・アブストラクト)として著されたものが本書『種の起源』である。
日本での翻訳刊行
最初は1896年(明治29年)に、立花銑三郎により『生物始源』という題で翻訳された。1905年(明治38年)に、東京開成館が『種之起原』と題して出版。1915年(大正4年)に大杉栄による翻訳本『種の起原』も出された。
今日最も入手が容易な翻訳書は、岩波文庫版『種の起原』(上・下、八杉龍一訳)である。これは原書第一版を基本とし、後の改訂が脚注として補完されている。2009年(平成21年)には、原書初版の翻訳『種の起源』(上・下、渡辺政隆訳)が、光文社古典新訳文庫で上梓された。
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