今日は一番で奥さんと一緒に五柱稲荷神社様へご参拝に参りました。以前から五柱稲荷神社様のお札を入手したいと思っていました。神社の隣に町会会館のビルがあります。そこに社務所もあるようでした。ビルの入り口に社務所の電話番号が書かれていましたので電話してみました。お札はそこで入手できることが分かり、ご参拝したのち社務所へ伺いました。初穂料を納めてお札を入手できました。
その後、日本橋の兜神社様へ伺う予定をたてましたが、途中で小網神社様への参拝に参る事にしました。小網神社様には結構な参拝者がいました。若い人、家族連れの方、年配の方など年齢層は広かったです。境内が狭いため参拝者は車道にはみ出してしまいます。そのため警備員が参拝者を誘導していました。強運厄除けの神様、東京銭洗い弁天様が有名です。
その後、日本橋の兜神社様へ伺いました。兜神社様は東京証券取引所のすぐ近くにあります。兜神社世話人会様がつくられた「兜神社」の由来には以下の記述があります。御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)。明治時代に東京商社(三井物産の前身にあたる商社)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚が遷されました。この時に兜塚として祀られていた源義家公の御神霊を兜神社として社を創建してさらに鎧稲荷を合併し新たに兜町の鎮守・兜神社として定められたそうです。また、御祭神は源義家公の祭祀を廃止して、三井家の三囲稲荷神社(みめぐりいなりじんじゃ)の境内摂社である福神社から大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の御分霊を勧請して合祀したとのことです。また、兜町の由来となった兜岩が境内にあるそうです。兜岩の由緒はいくつかの説があるようです。
- 940年(天慶3年)、承平天慶の乱で平将門を討ち取った藤原秀郷が、岩がある当地で将門の兜を地中に埋めて供養した。
- 1051年(永承6年)、前九年の役に出征する源義家が、この岩に兜をかけて戦勝祈願をした。
- 1087年(寛治元年)、後三年の役で凱旋帰還する源義家が、岩がある当地で記念に自分の兜を地中に埋めた。
東京北斗七星めぐりというのがあるそうです。北斗信仰からの流れで北斗七星になぞらえて7つのパワースポットを巡るというものです。スタートは鳥越神社で2番目が兜神社となっています。時間があるときに一度チャレンジしたいと思っています。
今日はその後、東京大神宮へ参りました。奥さんは新しい人間関係、ご縁を作りたいようです。新たなステージへの道開きとして猿田彦神社様への参拝、ご祈祷を終えて、今日は日を改めて縁結びの神様へのご参拝です。東京大神宮様は伊勢神宮様の分霊が祀られていて「縁結び」の神社様として有名です。縁結びは男女関係だけでなく、仕事などの人間関係にもご利益があります。
今日はその後さらに豊川稲荷東京別院様へ参拝に参りました。奥さんは荼枳尼天(だきにてん)様へのお願い事で参拝してまいりました。前回のご参拝でわたしはご祈祷を受けました。今回は、奥さんにご祈祷を受けてみてはと勧めました。しかし、奥さんは遠慮してか受けませんでした。今日はたまたま写経会の日でした。しばらくコロナ感染予防のため、写経会は中止されていたそうです。今月から再開されているようです。月に2回開催されているようです。会費は2,000円 別院様のブログによりますと開始時間は13時で退出は最終15時まで。その間に写経をして自由に退出してよいらしいです。説教や説法も以前はされていたようですが、いまはやはりコロナ対応ということで無いようです。時間があるときに写経してみたいと思っています。
今日は豊川稲荷東京別院様で最終です。結構歩いたので疲れてしまいました。
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