5月1日

2019年5月1日から『令和』の時代になりました。令和について調べてみました。ウイキペディアには以下の通り書かれています。

令和は、日本の元号の一つである。日本国第126代天皇徳仁(2019年〈令和元年〉10月22日、即位礼正殿の儀にて)

2019年(平成31年)4月1日、新元号「令和」を発表する当時の内閣官房長官菅義偉(第4次安倍第1次改造内閣)

平成の後。大化以降248番目[注 1]の元号。徳仁(第126代天皇)が即位した2019年(令和元年)5月1日から現在に至る。また、「元号法(昭和54年法律第43号)」に基づく元号としては、平成に次いで2番目の元号である。

名称は、日本に現存している和歌集の中で最古の「万葉集」から引用された。ここでは、日本史の時代区分における令和時代(れいわじだい)についても記述する。

2019年(令和元年)5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」になり、明仁の第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「元号法」並びに「元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)」の規定に基づき、「平成」から「令和」に改元された。

これは明治以降の憲政史上初めてであり、202年ぶり となる天皇の譲位に伴う改元である。また、徳仁の即位礼正殿の儀が同年10月22日に行われた。

  • 政府は2019年限定で一連の儀式が行われる日を祝日とする法案を提出し、2018年(平成30年)12月8日、参議院で可決、成立した。祝日法の規定により、2019年のゴールデンウィークは4月27日から5月6日まで10連休になった。また2019年は、改元が行われた5月1日午前0時を挟んで、平成(平成31年)と令和(令和元年)の2つの元号にまたがる年である。
  • 元号に、「令」の漢字が使われる事は初である。またラ行で始まる日本の元号としては暦応(リャクオウ、レキオウ)以来で680年ぶり、「レイ」の音が先頭にくる元号としては奈良時代初めの霊亀(レイキ)以来の2例目で1300年ぶりである。一方で「和」の漢字が使われるのは昭和以来で平成を間に挟み、30年ぶりで和銅以来の20例目となる。
  • 「令和(れいわ)」の典拠は「万葉集」の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文(「梅花の歌三十二首并せて序」、詳細は「#典拠」を参照)である。確認される限りにおいて初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定された。なお、「れいわ」の発音については「元号法はあくまで元号の漢字とふりがな表記のみ定めるものであり、アクセントについては決まっていない」ため、特に定められていない。当時の天皇であった明仁が譲位の意を示したのは2010年(平成22年)7月22日とされており、2016年(平成28年)8月8日に宮内庁は、その前日に撮影した、当時82歳になる天皇からのビデオメッセージを公表。それによると、自らの高齢化により今までのように公務が果たせなくなることを懸念し、「公務が途切れることなく安定的に続くことを望む」との趣旨で正式に発言し、その前に皇太子徳仁親王(当時)に皇位を譲りたい趣旨の叡慮を示した。

    これまでの改元時とは異なり、OA化、インターネット化が進んでおり、新元号への対応準備の期間を確保する必要があることから、憲政史上初めて新元号が改元の1か月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」された。「令和」のローマ字表記は「Reiwa」。政府高官によると、近現代の「明治(Meiji)」「大正(Taisho)」「昭和(Showa)」「平成(Heisei)」と同じ頭文字となる「M、T、S、H」の各案は当初から除外したという(詳細は「#備考」を参照)。

    新元号決定に関する公文書は、「公文書等の管理に関する法律」により「30年間の非公開期間」が設定される。また、元号発表時に掲げられた「墨書」も同様に公文書と扱われ、2021年(令和3年)3月末まで内閣府で保管された後、同年4月以降は国立公文書館に移管、永久保存されることとなった。これは平成への改元時に掲げられた墨書が一時、首相・竹下登の私物となり、しばらく一般には所在不明となっていたこと(「平成#発表」を参照)の反省によるものとされる。

    元号案の選定と考案者[編集]

    政府は2019年(平成31年)4月1日の新元号発表に向けて、極秘裏に専門家への委嘱と元号案の選定を行っており、考案者については、考案者本人の希望および元号が特定の個人と関連づけられることは好ましくないという考えから、公表しない方針である。

    2019年2月上旬ごろ、当時の内閣官房長官・菅義偉は元号担当の古谷一之らが事前に選定した約20の候補から絞り込みを開始した。2月下旬から3月上旬にかけて菅は当時の首相・安倍晋三に報告した。3月14日付で国文学や漢文学の専門家に正式委嘱した。3月27日、安倍首相、菅官房長官、事務担当の内閣官房副長官・杉田和博、古谷が協議し、原案を6つに固めたとみられる。

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