3月10日のブログで東京大空襲・戦災資料センターの紹介をしました。引越しする前はわたくし京王線を利用していました。新宿駅周辺のどこに掲示されていたかは忘れたのですが、戦争の資料館が新宿にある事を知っていました。先日、東京大空襲のネット検索をしたときに新宿にあるこの施設がヒットするのかと思っていましたが、出てきませんでした。この施設の名前は『平和記念展示資料館』でした。なぜか気になっていた施設でした。すでに戦後77年が経過していますが、このような施設があるのか…というのが率直な感想でした。決して戦災の悲惨さを伝える施設が存在することが悪いと言っているのではありません。逆に、どれだけの年月が経過しようが戦災の悲惨さ、また、原爆被害の恐怖を伝える施設は無くてはならない存在だと思っています。場所は新宿住友ビルの33階にあるそうです。
施設のHPには『平和祈念展示資料館は、さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。
また、資料を有効活用し、効果的な方法で幅広く労苦を語り継ぐため、全国で展示会などの館外活動を展開しています。』また、
三つの労苦
平和祈念展示資料館は、戦争が終わってからも労苦(苦しくつらい)体験をされた、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の三つの労苦を扱う施設です。
兵士
さきの大戦において、国のために家族を残し、危険な戦地に向かい、命をかけて激務に従事し、大変な労苦を体験された方々です。その中には、軍歴期間が短いために年金や恩給を受給できない方々(恩給欠格者)もいます。
戦後強制抑留者
戦争が終結したにもかかわらず、シベリアを始めとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地において、乏しい食料と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられた方々です。
海外からの引揚者
敗戦によって外地での生活のよりどころを失い、身に危険が迫る過酷な状況の中をくぐり抜けて祖国に戻ってこられた方々です。
引揚者というと以前勤めていた会社の当時の会長がシベリア抑留の経験があったそうです。詳しい話は知らないのですが、相当の苦労はされたそうです。また、以前 仕事で京都府を担当していました。得意先が舞鶴にあったため結構 訪問する機会がありました。街中に舞鶴引揚記念館がありました。戦後、舞鶴は引揚者を受け入れる港でした。
舞鶴引揚記念館HPには『昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから、13年間にわたり66万人の引揚者を温かく迎えたまち舞鶴。戦後の第一歩をしるした新たな出発点として「戦後復興のふるさと」ともいえる地となりました。
舞鶴引揚記念館は、引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、全国の体験者や関係者、舞鶴市民の皆様のご支援ご協力により昭和63年4月に開館しました。戦争を知らない世代が多くなり、引き揚げの歴史も徐々に風化しつつある今、歴史を知りよりよい未来を創造するために役立つ拠点として、舞鶴引揚記念館の果たす役割はますます重要になっています。
平成27年9月には、若い世代にも分かりやすく共感できる展示への改修や環境整備などを進め、リニューアルオープンしました。また、平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
今後も、「平和の尊さ・平和への祈り」を世界へそして未来へと発信し続けていきます。』と書かれています。
戦争は悲惨なことばかりです。しかし、その体験を次の世代へ引き継ぎことも必要です。日本の各地に戦災や天災による悲惨な経験を語り継ぐ施設があることはとても意義のある事だと思います。
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